世の中に何を生みたいか。自分の成長よりも仕事の“結果”に目が向いた~「成長」の正体(5)
2020/08/28
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特集「『成長』の正体」の5回目は、京都大学大学院からマッキンゼー・アンド・カンパニーに新卒入社した山本竜馬さんに聞く。山本さんはコンサルに10年以上勤める中で、自分自身が成長したいという発想は薄れていったという。そのときに目が向いたものは何だったのか。事業会社への転職につながった思いの変化を探る。【丸山紀一朗】
1. グローバルに活躍したい。その志向とマッキンゼーが合致した
2. 「自己成長」の発想は消え、「世の中の変化」にこだわり始めた
3. 「この会社で成長できる?」の前に、自分の目指す姿を表現しよう
4. 新しいこと・難しい要求への好奇心と興奮が自らを駆り立ててきた
グローバルに活躍したい。その志向とマッキンゼーが合致した
――山本さんは就職活動前後の学生時代、「成長」とは何を意味すると考えていましたか。
山本:成長は、どういう人物になりたいかという表現の一つだと思います。学生のときは、グローバルにビジネスができるとか、国籍の違う人と一緒に成果を出せるとか、厳しい環境でもアウトプットを出せるとか、これらを次のステップとして獲得したいと漠然と考えていました。特に「グローバル」が私の中のキーワードでした。
――なぜグローバルに活躍する人物になりたかったのですか。
山本:中学、高校、大学と、若いときは基本的には他人との相対的な位置を争い続けると思います。スポーツでも勉強でも、自分より優れた人がそこそこ近い場所にいて、その人に近づいたり勝ったりすることを目指す。その過程を成長と呼ぶのだと思います。
私の周りには勉強のできる人はたくさんいましたが、英語でコミュニケーションできたり世界の人とつながっていたりする人はほとんどいませんでした。留学する人も今ほど多くなくて。ですから、「グローバル」にあこがれたのだと思います。
グローバルにビジネスをするというのが具体的に何を意味するのかなど、全く分かっていなかったです。でもコンサルタントになればそのあこがれのキーワードに近づける気がしたし、彼らは世界的に見ても“すごい人たち”なのだと知り、単純に「ああなりたいな」と感じていました。
――大学、大学院と理系だったのですよね。
山本:はい。大学では原子核物理という、とてもマニアックな学問をやっていました。しかしそのままこの領域の職業を目指すイメージができなかったため、大学院では情報系のデジタル無線コミュニケーションを専門としていました。当時はガラケーが登場してきたくらいのタイミングで。無線通信技術の効率を上げるといった研究をしていました。
ただ、職業としては先輩の研究者たちにあこがれを抱くことはなかった。私は研究者のように1つの領域を突き詰めて専門家になるというよりも、広いトピックを扱える「問題解決人」のような人物になりたいと考えました。
――マッキンゼーには「グローバル」という点でロールモデルになるような人がいたのですか。
山本:具体的なこの人、というのはいませんでしたが、セミナーや選考で会うコンサルタントの人たちのほうが私の興味に合っていたのです。
マッキンゼーでいえば、他のファームと比べてグローバル感は秀でていたと思います。他ファームは国内に目を向けて活動していることを強調して説明されたのですが、マッキンゼーは違った。自分の志向と合っていると感じましたね。
「自己成長」の発想は消え、「世の中の変化」にこだわり始めた
――マッキンゼーでは10年以上勤務して、その後Appleに転職していますが、そのときの成長意欲は新卒のときと違いましたか。
山本:やはり違ってきますね。新卒のときは、なりたい人物像に向かって自分を引き上げていくようなことが成長だと思います。でも10年も仕事をしていると、会社の中で自分より上の立場にいる人がどういう人かも分かってきますし、上にいったところで役職や給料が上がること以外の興奮は徐々に小さくなってきます。
周りの人間を見ていても、「自分が成長したい」という発想は消えていっていました。それよりも、自分が世の中に与えるインパクトの大きさや何を生み出すかといったことへの興味が強くなった。ですから、「自分の成長」を意味する「成長」は、30歳手前くらいまでの人が使う言葉というイメージですね。
――自分自身の変化より、世の中の変化に目が向くようになったということでしょうか。
山本:そうですね。あと、「自分の成長って何だろう」とだんだん考えるようになってきます。初めは「こうなりたい」と思っていることでも、どこかの段階で自分さえ「なろう」と思えばなれるレベルに来る。シニアのコンサルタントのスキルはたくさんありますが、自分がやろうとさえすれば身につけられるようにはなるのです。
しかし、シニアになるほど仕事の「結果」、すなわち世の中に与えるインパクトのほうにこだわり出します。そして「クライアントが出した結果は、果たして私自身の結果なのか」という問いが自分に突き付けられるようになるのです。するとコンサルがもどかしくなる。私の場合は10年ほど経って、少しずつ違うことをやりたくなっていったのです。
――コンサルのどういう点が特にもどかしく感じて、Appleに移ったのですか。
山本:コンサルは構造的に、最先端のトピックは扱えません。コンサルはある課題について過去に解いた経験値に基づき、グローバルに汎用的なナレッジや手法を生み出しています。
つまり仮にグローバルで誰も解いたことのない課題があると、基本的にコンサルは扱えないのですね。例えばAppleも、一番新しいプロダクトについてコンサルを雇おうとは思わないわけです。
転職当時、テクノロジーやスマートフォンをベースにしたビジネスが世の中にインパクトを出していることは明白だった。コンサルの中でもそうした領域のチームを作るなどしましたが、限界は感じていました。そこに、「Apple Payを日本でローンチするから立ち上げを任せたい」というオファーが来て。これは間違いなくインパクトが示せると考え、移りました。
――Appleでは3年勤めた後に、現職のOYO Japanに移っています。Appleでも別のもどかしさはあったのでしょうか。
山本:極めてできあがった世界のもどかしさですね。
ブランディングやマーケティング、エンジニアリングなど、ほぼすべて固まったフロー通りに動く。またiPhoneがあまりにも売れているので、Apple Payという1つのプロダクトの貢献、ひいては私の貢献がどれほどのものなのか見えにくいのです。例えばiPhoneの新機種が出ればApple Payのユーザー数も劇的に伸びるわけですから。
また、Apple Payはペイメントのプロダクトとして改善の余地はたくさんあるのですが、グローバルプロダクトなので仕様を変えるには壮大なグローバル議論が伴います。アプリの改修は想像よりも大変で時間もかかり、「自分でプロダクトを作った実感」からは遠いのです。
とはいえ、社会的インパクトはすごく感じられました。その点は非常に満足で、コンサル時代の不満は解消されましたね。ただやはり、自分で物事を動かす立場になりたい、マーケティングも自由にやりたい、スピーディーに行動したいといった思いが強くなり、スタートアップであるOYOに来たのです。
「この会社で成長できる?」の前に、自分の目指す姿を表現しよう
――就活の場面では自分なりの成長の定義を明確にしないまま、「成長したい」と口にする学生も少なくないと感じるのですが、これについて山本さんはどう思いますか。
山本:成長したいと言うからには、今の自分となりたい姿とのギャップを埋めたいと考えているはずです。そのなりたい姿が何かを表現できないと、それはセリフの棒読みであり、よくないでしょう。学生側としては「頑張りたい」という意思表示なのでしょうが、なりたい姿を表現してほしいです。
企業説明会で「この会社に入ったら成長できますか」と聞く学生がよくいますが、これはほぼ意味のない質問です。まずは自分の目指したい地点を示してくれないと、この会社がそこまで引き上げられるかについて判断できないからです。
――「なりたい姿」を表現するにあたり、どのくらいのタイムスパンで考えるべきでしょうか。
山本:人によっては長期的な目標になることもありますが、基本は短期的に見るべきだと思います。あまりにも先を見据えると実現するのが遠い未来になってしまい、達成感も得られません。3~5年くらいで到達できそうなイメージを作り、それを目指しながら「なりたい姿」を更新し続けるのがいいと思います。
――一方で、外資系コンサルを含めたプロフェッショナルファーム側も、「若いうちから成長できる環境がある」といったうたい文句を使う場面があります。プロフェッショナルファームでの成長とは何を指すのでしょうか。
山本:コンサルでいえば、プロジェクトごとに目指すものや扱う業界が異なり、多様な経験ができます。
2~3カ月に1回、新たなプロジェクトを担当することになる。プロジェクトによって「売り上げを増やす」こともあれば「コストを減らす」こともあり、製薬業界のクライアントもやれば自動車業界のクライアントもやる。それによって、より汎用性の高いスキルを自分の中に蓄積できていく感覚があります。
もう一つは自分自身が商品であることによるプレッシャーと達成感でしょうか。
Appleの場合は例えばiPhoneが商品ですが、プロフェッショナルファームでは自分がプロダクトです。自分の振る舞いや発言、書いたものでしかクライアントを満足させることはできないので、個々人の抱える責任は重い。それが単純にしんどくて辞める人もいますが、その重圧を乗り越える達成感を楽しいと思える人にとってはいい環境といえるでしょう。
新しいこと・難しい要求への好奇心と興奮が自らを駆り立ててきた
――改めて学生時代を振り返ると、山本さんは学力における競争を勝ち抜いてきたと思います。そのモチベーションは何でしたか。
山本:学生のころまでは好奇心とゲーム感覚でしたね。新しいことを知りたい・理解したいという気持ちが強く、それらを獲得することで次のステップに進むこと自体も楽しんでいました。
良くも悪くも、日本の受験社会はうまくできています。偏差値などのランキングで子ども心をあおってくる。ですから、夜遅くまでテレビゲームをやってどんどんレベルアップするのと同じような感覚で、勉強もしていました。
――大学や大学院ではどうでしたか。
山本:大学に入るまでは同じような感覚でしたね。大学院の入試でも、私は学部から専門分野を変えたので、かなり勉強しました。ただゲーム感覚というのは薄れ、単純に好奇心からでした。目に見えないものによって話ができる通信という技術について、その仕組みが知りたいと思って新しい世界を勉強していました。
――社会人となってからは、山本さんを駆り立てるものは何でしたか。
山本:コンサルで自分の担当するプロジェクトを選ぶときは、やはり好奇心でしたね。海外のプロジェクトがやりたいとか、金融系のクライアントを担当したいとか。同じようなプロジェクトはやらず、毎回異なる内容を選んでいました。
でも一旦プロジェクトに入ったら、そこからは好奇心は関係ありません。やはり自分自身がプロダクトであるため、目の前のクライアントを自分の力であっと言わせたいという気持ちが自らの満足にもつながっていましたね。ですから相手の要求レベルが高いほど、興奮していました。
――「自己成長」という意味での「成長」は30歳手前くらいまでの人が使う言葉ではないかということでしたが、やはり年齢や経験年数など、どこかのタイミングで意味が変わるものなのでしょうか。
山本:自己成長は、自分のなりたい姿に向かっていくことなので、可能性は誰にでも平等です。ですが、他人のせいにしたり他人の目を気にしてしまい、目指す姿に向かう挑戦ができない人もいると思います。
しかし、そんな自分は20代から30代前半くらいまでなら変えられる。元々誰もが持っている成長の可能性は十分に広いので、若いうちに脇目も振らず頑張れる何かを見つけられると幸せだと思います。
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