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論理的に考えただけでは答えの出ない問題が、一昔前に比べて増えている――。そう語るのは株式会社ココナラの南章行・代表取締役会長だ。多様な生き方が認められ、選択肢の複雑性が増す現代では、そもそも何が問題かを定義すること自体が難題になっている。そんな中で求められているのは「自らの信条や確固たる価値観に基づいて、これが問題だと“旗”を立てるリーダーシップだ」と南さんは言い切る。特集「今こそ『問い』を問い直す」の最終回は、問いを立てることの現代的な価値の本質に迫る。【丸山紀一朗】
1. “正しい解き方”よりも、「これが問題だ」と旗を立てる力が求められている
2. “多様”な時代。信条や確固たる価値観がないと、問いが定義できなくなった
3. 論理的に決めるのは「意思決定」ではない。PEファンドで気づいた経営者の仕事
4. 「MBAは知識を問う場」ではない。自分の価値観や信条をつくる場だ
“正しい解き方”よりも、「これが問題だ」と旗を立てる力が求められている
――「問い」すなわち問題や課題について、それを「設定すること」と「解くこと」の価値をどう捉えていますか。
南:「問題を解くこと」すなわち問題解決する能力は、コモディティー(汎用品)化していると思います。最近はよくAI(人工知能)の発展による影響という文脈で語られていますよね。しかし例えばコンサルティングの世界などではそれ以前から、インターネットの発達などによって、問題解決自体の価値が徐々に下がってきました。
伝統的に、コンサルは問題解決のプロフェッショナルとして、世界中の成功事例を抽象化し、各国に横展開することで価値を提供してきました。一般社会には、問題の解き方を知らない人が多かったからです。しかし今や、こうした「正しい解き方」の情報は世界中の人々が瞬時に入手できるようになりました。情報格差がなくなったことで、問題を解くこと自体には価値がなくなってしまったのです。
――問題を解く力は、相対的に必要とされなくなってきているということでしょうか。
南:はい、だんだんと必要とされなくなってきています。特に1990年代半ば以降、かつてと比べて「分かりやすい問題」が減ったこともその背景の一つです。
一昔前までは人間が生きる上での問題は山のようにありました。「食べ物を長く保存するには」「遠くの人と話すには」といった、より幸せに生きるために“誰もが解きたい問題”です。そうした分かりやすい問題の多くは、例えば冷蔵庫や電話の発明という形で解かれてきました。しかし今残っている問題は、ものすごく複雑で、必ずしもすべての人が「それが問題だ」と合意できないものばかり。問いを定義すること自体が難題になっているのです。
――問題を定義する力のほうが求められているということでしょうか。
南:はい。「これが問題である」と旗を立て、周囲の人間を納得させたり巻き込んだりしていく力が、学生だろうと社会人だろうと本質的に求められていると思います。
例えばLGBT(性的少数者)の人々の生きづらさという問題は、昔は分かりやすい問いにはなっていませんでした。しかし誰かがこれは問題であると発信し、賛同する人が現れ、何とか解決していこうという動きが生まれる。このように、「どう解くか」という手前の、「これが問題だ」と定義することのほうに圧倒的に価値があると思うのです。複雑で難しい問題でも、定義さえしてしまえば、解くことのできる可能性が生まれるからです。
“多様”な時代。信条や確固たる価値観がないと、問いが定義できなくなった
――「これは問題だ」と発信することに価値があるとはいえ、それはとても難しそうです。
南:もちろん、分かりやすい問題はほとんど残されていないので、難しいです。そして、自分の信条や確固たる価値観がない限り、「これが解くべき問いである」なんてジャッジできないし、いえないと思っています。
ですから、与えられた問いをどう解くかなんていうことよりも、自分の価値観に基づいて「これが解くべき問いだと思う。なぜならば○○○だから」といえることに価値がある。それがたとえビッグな問題でなくても、本質的に価値があるのです。
――分かりやすい問題が減ったのは90年代半ば以降とのことでしたが、それまでの間に何が起きたのでしょうか。
南:日本でいうと、例えば86年に男女雇用機会均等法が施行されました。それまでは圧倒的な男性社会でしたが、女性の働き方やキャリアが注目されるようになった。女性に働くという道ができると、キャリアを取るか恋愛や家庭を取るかといった選択がなされるようになり、女性の人生における複雑性が急に増しました。
また、「週休2日制」も90年代に定着しました。それまで、僕が子どものころ、親世代は土曜日も働いていました。そうするとお父さんは「日曜日は休む」が基本だったわけです。しかし週休2日になってガラッと変わった。日本人に初めて「余暇」ができたのです。それまでは「生きる=働く」でしたが、余暇の“発明”によって、働く以外にどう過ごすのかを考える必要が出てきた。これも社会の複雑性が増す結果につながったのです。
――そうしたことがきっかけで、「皆同じ」から「多様」になっていったと。
南:そうですね、一様なものがなくなっていきました。多様性を認めるという社会に急激に変わったし、男女の平等とは何か、生きる意味とは何かといったことが問われ始めたと思います。
そんな中で、「解くべき問いが残っていない」とはいいません。まだあります。まだありますが、その解き方が変わってきています。なぜなら時代の変化に伴って、問題の性質も変わったからです。
――問題の性質はどのように変わったのでしょうか。
南:以前は、問題を解くというのは、「こうなったら問題解決」という状態と現状とのギャップを埋める行為でした。ですから、こうした問題は、地頭のいい人が解決することができた。論理的な人であれば解くことのできる問題がたくさんあったのです。
しかし今残っている問題は、何がゴールか分からないような問題か、あるいはゴールは分かっているものの、しがらみなどの存在が理由でそこを誰も突破できない問題か、の2種類です。こうした問題は、いわゆる“頭のいい人”ではなく、リーダーシップのある人が解いていくのです。
――その2種類の問題を解く「リーダーシップのある人」とは、どういう人でしょうか。
南:1つ目の問題に対しては、「これが問題でこれが答えだ」と言い切れるような人です。そもそも分かりにくい問題なので、「それって本当なのか」と初めは皆が疑うかもしれない。それでもその人を信じて仲間になる人もいて、ムーブメントが起こる。解決されてみたら「確かにあなたの立てた旗が正しくて、世の中が良くなった」と後から分かるような類の話です。
2つ目の問題、すなわち高度に政治的な問題やステークホルダーが多過ぎてゴールに向かって進めないような問題。これを解決するには、そうした複雑性や難しさを認識した上で、泥くさく、ゴリっとやり切ることのできる人が必要です。もちろん、論理性は備えていたほうがいいですが、リーダーシップがないと解くことができないのです。
論理的に決めるのは「意思決定」ではない。PEファンドで気づいた経営者の仕事
――そのリーダーシップとは、どうやって醸成されていくものなのでしょうか。
南:社会の常識を疑いながら、自分の内面ときちんと向き合って、自らの価値観や信条に基づいて行動し続けるというプロセスそのものが、リーダーシップのベースだと思っています。
そういうことのできるリーダーが、今の時代に求められているのでしょう。論理的に考えただけでは答えの出ない問題が多く、選択肢が複雑すぎて選べないので、「ここを直すんだ」「これがあるべき社会だ」と言ってくれる人についていきたい、という期待が強くあると思います。
――南さん自身は、今の起業家という立場と、以前の会社員時代とでは、問いの見極め方や日常の意思決定に差を感じていますか。
南:それは明確に違います。銀行員だったころやPEファンド時代もそうですが、僕が若いころにやっていた仕事の多くは、論理的に答えが出せる問題が中心でした。しかし、起業してからは、価値観や信条に基づいて決める仕事ばかりです。経営者なら皆同様だと思いますが、起業家のほうがその割合がより高いでしょう。
――「価値観や信条に基づいて決める仕事」とはどういうものですか。
南:論理で答えの出せない問題に、解を与える仕事です。日々の仕事の中で論理的に考えても解決できない問題は、勝手に進めるわけにいかないので上司に聞いたりしますよね。そういう複雑性の高い問題ほど、より上の立場の人が決めなければならなくなる。これを経営者がどう決めるかといえば、価値観に基づいて決断するしかないのです。
僕はよく「経営者の仕事は意思決定だ」というのですが、それは「意思」の力で決めるから。論理的に決めることは、意思決定とはいわないのです。
論理的に答えが出せる人に、同じ情報がインプットされれば自然と同じ結論がアウトプットされます。でも同じ情報があっても同じ答えにたどり着けない問題については、意思で決めるほかない。「どっちに決めても地獄だね。だったら僕らはこっちのリスクを取ろう」と。
これを決断するのが経営者の仕事であり、実際に私も起業してからこちらの仕事が圧倒的に増えました。
――それが起業家や経営者の仕事だと気づいたのはいつごろでしょうか。
南:PEファンド時代です。戦略コンサルティングファーム出身のファンドの同僚たちが、ものすごいスピード感で問題解決していくのを目の当たりにしました。僕も何とか論理的な思考を身につけたいと思い、訓練することで少しずつはできるようになっていきました。そんな中で、投資先の企業に経営陣の1人として入ることもあるわけです。
そこで経営層まで上がってくる問題の質を見たときに、「これは論理では解けない」というものがあったのです。それらをどうやって決めるのか、当時30代前半の僕は答えを持ち合わせていませんでした。そこで問われていたのは、どちらが正しいかではなく、どういう会社にしたいかについて答えを出すこと。正誤や損得ではなく、「美醜」のような価値観で決める問題だったのです。
「MBAは知識を問う場」ではない。自分の価値観や信条をつくる場だ
――それがいわば「論理的思考の先」だったのですね。
南:そうですね。一定程度、論理的に問題を解決できるようになった、その先の部分がものすごく重要だと気づきました。事をなすことができる人というのは、そういう問題に対して勇気をもって旗を立てられる人なんだと。ビジネスパーソンの本質的な価値とは問いを立てる力だ、と思ったのです。
でも僕にはその判断をするための軸がない、この能力はどう身につけたらいいのか、と悩みました。迷った挙句、経営学修士号(MBA)を取得するという選択をしました。
――なぜMBAだったのでしょうか。
南:元々は、MBAには価値がないと思っていました。なぜなら、戦略もマーケティングもファイナンスもすべて、すでにPEファンドで身につけている知識だからです。ビジネススクールでよくやるケーススタディーも、知識を問うているものだと思っていました。しかし、あれは知識がある前提で、その上で勇気をもって自分の信条で意思決定する訓練なのだと理解できました。「意思決定の千本ノック」ができる場なのだと。
繰り返しますが、経営とは自分の信条という軸で道を決め、その道を正解にしていく仕事です。その軸となる信条をつくるつもりでMBAを取りに行けば、自分ならではの“筋の通った何か”が見えてくるのではないかという気持ちになったのです。
――MBA留学で、南さんはどう変わりましたか。
南:信条が見つかったかと聞かれると、明示的にこうだというのは難しいです。ただ、日本に帰ってきたら全然違う人間になっていた。2つのNPOの立ち上げにかかわり、起業するような人になっていました。これは、自分の中で解きたい問いをいつの間にか立てて、それに向かって突き進む人間に変わったということです。問題を「解く」ことに執着していた過去の自分から、解きたい問題を自分で定義する人間に変わったきっかけがMBAでした。
今の僕、自信満々にしゃべっていますよね。これが「世の中における正解をしゃべらなければいけない」といった気持ちで話していたら、自信なんか持てないですよ。ですが、「僕の仕事は僕の中で正しいと思うことを正しいと言い続けるだけだ」と思っているから、何を聞かれてもぶれずに答えられる。周りがどう思おうと知りません。「これは僕が立てている旗である」といっているわけで。こういう姿勢が今は大事だと信じています。
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