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特集「外銀出身女性起業家~わたしのすごした20代」の最終回に登場するのは、ジェイ・ボンド東短証券の代表取締役の斎藤聖美さん。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で日本人女性第2号としてMBAを取得、モルガン・スタンレーではニューヨーク本社勤務を経験した後、複数企業を立ち上げた華々しい経歴を持つ。そんな彼女は、もし20代に戻ったとしても、もう一度金融業界に就職すると言い切る。多くの業界の人と電話1本で会えるような関係性を構築できるのは、他の業界にはない強みだという。【中村香織】
1. 競争倍率3000倍の新聞社に就職。でも誰にも相談せず1年でさっさと辞めた
2. 経営状況に応じたチェックポイントが自動的に頭に浮かぶようになった
3. 起業は「おすすめしない」。社会の仕組みや常識を知らないと痛い目に遭う
4. モルガン・スタンレーのNY本社で気づいた、多くの国の文化に触れる重要性
競争倍率3000倍の新聞社に就職。でも誰にも相談せず1年でさっさと辞めた
――学生時代はどのような生活を送っていましたか。
斎藤:当時の大学の授業は千年一日のごとく同じことを繰り返すものが多く楽しくなかったので、勉強はほとんどしませんでした。早稲田大学に通っていた4つ上の兄のノートを読んでいれば、慶應でもいい成績が取れましたよ。
例外だったのは、ドイツ語の原書を読むクラスと、金融のゼミです。チャレンジングで面白く、ようやく大学生としての勉強ができたという実感が得られました。
サークル活動では柔道部のマネジャーとバスケットボールを、アルバイトでは家庭教師と酒屋の店員をやっていました。学生時代はたくさん時間があったので目的意識もなく遊びまわっていましたが、いま思えばもったいなかったですね。
――当時、起業については考えていましたか。
斎藤:全く頭になかったです。
就職活動を始めた大学3年当時、単純ですがものを書くことが好きだったので記者になりたいと新聞社を志望していました。新聞社の99パーセントは大卒の女性を採用していないような時代でしたが、そんな中、日本経済新聞社だけがテストをパスすれば女性でも採用していたので応募したんです。
募集していたのは「電算機本部」というコンピューターを扱う部署でした。おそらくコンピューター関連の専門知識を持った応募者が多かったんだろうと思いますが、私には面接を受けに来ていた女性の話す内容が全く理解できませんでした。これは無理だと思いましたが、めでたくもぐりこむことができました。なんと倍率は3000倍くらいだったようです。
――3000倍ですか。それはすごいですね。
斎藤:記事を書くことのできる部署ではなかったものの、憧れの新聞社でしたし、そのうち異動させてもらえるかもという期待もあり入社しました。
いざ仕事を始めてみると、あまりに面白くなくて驚きました。当時のコンピューターは性能が悪く言うことを聞かなかったのでイライラすることも多かったですね。1年様子を見ましたが、編集の部署への異動の可能性もなさそうだったので、誰にも相談せず自分だけの判断でさっさと辞めてしまいました。
ところが辞めた後で現実に直面しました。当時はそもそも中途採用枠がほとんどなく、さらに女性向けとなると働き口は全くなかったんです。諦めかけていたところ、偶然新聞で求人広告を見つけ、ソニーに拾ってもらいました。私のキャリアは行き当たりばったりなので深く反省しています。
経営状況に応じたチェックポイントが自動的に頭に浮かぶようになった
――ソニーでは当時会長だった故盛田昭夫氏の秘書をされ、その後29歳でHBSに留学されています。転職のためには名の通ったビジネススクールでないと駄目だと思ってHBSを選ばれたそうですが、実際に効果はありましたか。
斎藤:転職にはすごく役に立つ学歴でしたね。ただビジネススクールでの勉強はとてもハードだったので、あの生活はもう二度とできないですけど。
――相当ハードだったようですね。
斎藤:当時は相当ハードでしたが、講義数を少なくするなどカリキュラムが見直され、現在はずいぶん楽になっているようです。ただ、「自分は落第するのではないか」というような、仲間から受けるピアプレッシャーは変わらないともいわれていますね。
――そうしたプレッシャーは、社会人になると増えていくものだと思います。それを乗り越えるための強さはどうやったら身に付けられるのでしょうか。
斎藤:生まれつきの部分も多いような気がしますが、友達に助けられたことは確かです。自分が悩んでいるときに友人の何気ない一言で救われたことはよくありました。自分と違う角度からものを見ることのできる友達を持つことは重要だと思います。
またソニーでお世話になった盛田さんにもいろいろな形で助けていただきました。私がソニーを退職した後も仲良くしていただき、プライベートな悩みの相談にも乗っていただいていたんですよ。他にもHBSを受験するときの推薦状を書いてくださったり、私が在学中、現地に講演に来てくださったりしました。
――MBA留学で学んだことでいまにつながっていることは何が一番大きかったでしょうか。
斎藤:「ビジネスに正解はない」ということや、「やるかやらないか」ということを繰り返し言われました。それらを通じて、大事なのは自分の根性の強さだけなんじゃないかというのが分かって、すごく気が楽になりました。
また、ビジネススクールで出されるケースでは、どこかの企業の売り上げが上がらない、競争相手がこういう手を打ってきた、さあどうしようというのが共通したテーマとして出てくるんです。多くのケースに取り組むことで、こういう状況に陥ったときには何を考えるべきかというチェックポイントが自動的に頭に浮かぶようになったことは、今でも役立っていますね。
起業は「おすすめしない」。社会の仕組みや常識を知らないと痛い目に遭う
――外資系投資銀行での勤務やコンサルティングファームの経営経験もありますが、もしご自身が20代になって就活をやり直せるとしたら、その場合はどんな業界を選びますか。
斎藤:私がいま20代になって、もしも今の金融業界にポンと入れるとしたら、同じく金融を選ぶと思います。いまは新型コロナウイルスの影響でさまざまなことが停滞していますが、経済の大動脈はやはり金融です。
お金が動くところに全ての活動がついて回るという意味で、金融はすごくエキサイティングなビジネスだと思うんです。中で働いたことがない人には金融といっても銀行の窓口業務くらいしか想像がつかないと思いますが、実際には企業に行って貸し出しの相談をしたり、資金調達やM&Aの話をしたり......と幅広いビジネスが金融を通じて経験できる気がします。
当時、女性は金融業界からはシャットアウトされていたし、日本の金融自体も世界から隔離されていたので面白くなかったと思いますが、今だったら面白いですね。
――女性起業家には外資系金融出身の方が多いように感じます。それには何か理由があると思いますか。他の業界、企業では得られないものはあるのでしょうか。
斎藤:自分の経験から考えると、外資系金融は営業先がたくさんあるので、ネットワークはすごく膨らみました。何かを始めようと思ったときにコンタクトを取ればアドバイスをくれたり、手伝ってくれたりする仲間が得やすかったですね。
コンサルの場合は1つのクライアントと密度の高い関係にはなるのですが、そこからネットワークが広がることはあまり期待できない気がします。逆に金融はさほど密度の高いお付き合いではないかもしれませんが、さまざまな業界の方と電話1本で会えるようなネットワークを構築できる点は強みだと思いますね。
――ご自身は複数の起業経験がありますが、20代の後輩にも起業することをすすめますか。
斎藤:あまりおすすめしません。起業するということは自分で経営を全て見るわけですから、社会の仕組みや常識をきちんと分かっていないと痛い目に遭うと思うんですね。
周りにも20代で起業した方はいますが、やはり「そんなことも知らなかったの」と思うようなちょっと危ういところがあります。一方で20代でも成功している方は、自分の視野を広げるためにものすごく多くの人に会って話をしていますね。そういう方からランチのお誘いを受けることもありますよ。
モルガン・スタンレーのNY本社で気づいた、多くの国の文化に触れる重要性
――仕事上での失敗した経験で今につながるようなものはありますか。
斎藤:これはモルガン・スタンレーにいたときの話ですが、あるお客様を怒らせてしまい出入り禁止になってしまったことがありました。何とか関係が途切れないようにと他の人に連絡を取り続けていたら、周りの人の取りなしでその方との関係が復活したんです。その後、その方は私がモルガン・スタンレーを辞めた後も仕事上で必要な人を紹介してくれたこともありましたし、仕事をこえた友達として付き合えるような存在になりました。
失敗したときには世の中が崩壊したような気持ちになりますが、上手にリカバリーすることができれば、すごくいいチャンスに変わることも多い気がします。
――20代に戻れるとしたらあれをやっておけばよかったと思われることはありますか。
斎藤:海外に行っていろいろな所を見て回ること、あとは英語の勉強ですね。いつまでたっても英語に苦しめられているので……。
――外資系企業での豊富な勤務経験もあり、MBA留学もされている斎藤さんであっても、いまだに英語に苦労されているというのは意外です。
斎藤:ビジネス英語や意思疎通はできても、発音がジャパニーズイングリッシュなことにコンプレックスがあります。20代のうちは頭も柔らかく、語学や異なる文化への理解力もあるでしょうから、時間があるときにしておけばよかったと思います。
外資系企業でさまざまな国の人と関わるようになり、びっくりさせられることがたくさんありました。たとえば私が働いていたモルガン・スタンレーのニューヨーク本社には本当にいろいろな宗教の人がいたので、この宗教だからこれができない、これが食べられないということがごく普通に会話されていました。
日本というドメスティックな環境で生きているとなかなか気づけませんが、そうしたことを当然の思いやりとして相手に聞くことに慣れていないと、そういう場面に遭遇したときに配慮のできない人間に見られてしまうことはあると思います。世界を理解するためには、なるべく多くの国の文化に接することが重要だと感じました。
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