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こちらの記事は東洋経済ONLINEより許可を頂き転載させて頂いております「PR記事」になります。
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何かにつけ不確実性の高い現代。一生安泰の仕事も、未来永劫つぶれない企業も存在しない。自分の仕事に明日があるのか――それをつねに考えておかないといけない時代だ。
この連載では、悩めるビジネスパーソンからのキャリア相談を募集。外資系金融、コンサル、ライブドア、企業再生コンサルなどを渡り歩き、数多くの業界やスタートアップに精通する塩野誠・経営共創基盤(IGPI)パートナーに、実践的なアドバイスをしてもらう。
[note]
【Vol.1】 外資系金融から転職したほうがいいでしょうか?
外資系証券会社に勤める30歳です。新卒で投資銀行に入り、一貫して投資銀行業務に携わってきました。
高給に憧れて今の業界に入りましたが、リーマンショック後は、周りの先輩や同僚がどんどん首を切られ、私の給料もさほど上がっていません。30代でハッピーリタイアメントというのは夢のまた夢です。
金融の仕事に対するこだわりはないため、20代での転職も何度か考えましたが、激務に追われ、ずるずると今まで働いてきました。ただ、30歳を迎えるに当たり、今後のキャリアを真剣に考えています。
これからの外資系金融業界は、藤沢数希さんが『外資系金融の終わり』で指摘しているように、さほどアップサイドのない退屈な業界になるのでしょうか?
もし金融にさしたる執着がなければ、他の業界で力を試したほうがいいでしょうか。投資銀行で身に付けたスキルは、どの業界であれば高く評価されるのでしょうか。コンサル、企業再生、事業会社でのニーズは高いのでしょうか。
キャリアのワンクッションとして、海外のビジネススクールに進学することも選択肢に入れていますが、塩野さんのご意見を聞かせていただければ幸いです。
(外資系金融機関勤務・男性・30歳)[/note]
儲かったのは、インテリより「株屋のおじさん」
どんな業界でも儲かる人は、海のものとも山のものともつかないカオスの時に業界に飛び込んだ人です。
20~30年前には日本における外資系金融は「変人」の行くところでした。例えば1980年代のジャパンマネー最強の時に、弱小金融機関の東京支店に入社するのは勇気がいったことでしょう。90年代の中頃でも新卒で外資系金融機関に行くのは変わった人だったと思います。
リーマンショックまで、外資系金融機関はひと財産築ける職場だった。
ご存じのとおり、比較的近年においては2000年の米国IT株式バブル、リーマンショック前の米国住宅バブルといった市場の盛り上がりを外資系金融機関でシニアレベルでのタイトル(役職)で享受できた人は、ひと財産をつくったことでしょう。
または新規性のあるデリバティブやヘッジファンド商品を日本の機関投資家や富裕層にたくさん売ることができた人や、今では懐かしいNTTドコモといった90年代後半の大型上場のグローバルオファリングに絡めた人も儲かったかもしれません。
そこで儲かった人たちは、東大新卒の学生がこぞって外資系金融機関に入ろうとしたずっと前に入社した、どちらかといえばインテリというよりは「株屋のおじさん」たちでした。業界がエスタブリッシュメントになる前に飛び込むことができて、業界がとてもうまくいくと個人は利益を享受することができるのです。
一方で質問者の方は30歳ということで、日本において外資系金融機関がエスタブリッシュされてしまった後に入った方と言えます。その年齢ですと、アソシエイトかVP(ヴァイスプレジデント)くらいでしょうか?あなたが投資銀行部門(IBD)にいるのか?マーケット側(セールス&トレーディング)にいるのかでも事情が変わってきます。
転職市場においては、企業を顧客として資金調達やM&Aのアドバイスを行う、IBDの方がツブシは効きます。IBDであれば企業の財務分析や財務モデリング、資金調達やM&Aの実行には多少かかわっているからです。実はコンサルティング会社や事業法人でIBDにいて直接的に活きてくるスキルは、事業計画を策定する際のシナリオ構築力や、エクセルでの財務モデリングです。
投資銀行はBS、コンサルはPL
すでにディールチームのリーダとしてM&Aのエグゼキューションや交渉の経験があるとなお良いのですが、上のほうが詰まった今の投資銀行で30歳ではまだあまり経験がないかもしれません。おそらく一人でグリップできているお客さんもまだいないことでしょう。
日本でのコミットメントが高い一部の外資系金融機関を除いては、実務経験のあるVPレベルをクビにしすぎて、すごく偉い株屋のおじさん(マネージングディレクター)と、昨日まで学生だったようなジュニアメンバーで案件を行っている場合も多々見受けられます。顧客である事業法人からすれば、「大きな絵は持ってくるけど、実務担当者がころころ変わって、トランザクションが危なげ」と言いたくなるチームです。
よく間違えるところですが、投資銀行部門は主にB/S(バランスシート)について考える業務であり、戦略系コンサルティング会社はP/L(損益計算書)の営業利益より上の部分について考えるところなので、業務スキルそのものはあまり重複しません。そのため、30歳くらいでコンサルに入ると、コンサル的企業分析をもう一回やり直しになります。
事業法人は難しい
たとえば、コンサル的分析は財務よりもっと手前のバリューチェーンやサプライチェーンの分析などが入ってきます。ひたすら地味に営業人員の最適配置のモデルを組んでシミュレーションするといったこともコンサルのお仕事です。
おそらく世の中の人が思っているより投資銀行業務と戦略系コンサルの業務は異なります。何よりも異なるのが投資銀行はディール(M&Aや資金調達)を追う狩猟民族であるということです。これに比べるとコンサルは何らかのディールを起こすというより、経営の意思決定に資する分析を行い、提案をする業務なので、文化はかなり異なります。
IBDと事業法人ではもっと業務が異なります。たとえ経営企画部だとしてもルーティン業務があり、年がら年中ディールを追いかけているわけではないでしょう。投資銀行から事業法人に移ってもM&A専門部隊で働かないかぎりはヒマになってしまうのはよくあることです。
もしもあなたが、投資銀行における投資銀行部門ではなくマーケット側にいる場合は、キャリアチェンジはより難しくなります。
一般的にマーケット側のほうが若くして稼げますし、一昔前なら35歳の外資系金融定年前に億プレーヤーとして稼ぎ切ることもできたかもしれません。マーケットの人間は個別企業を株や債券といった商品として見ており、一部の投資戦略を除いては、個別企業のビジネスモデルを深く見るというよりは、市場を俯瞰して見ています。つまり、コンサルティング会社や事業法人とは遠い場所にいるのです。
もしマーケットでの知見を活かすとしたら、企業のIR部門等にいくことでしょうが、今までのマーケットに対峙するお仕事よりはだいぶつまらないことになるでしょう。
金融専門職としての色が強い、セールスやトレーダーの方はそのまま続けて稼ぎ切るか、ヘッジファンドに移って香港やシンガポールに住んで日本市場を見るというキャリアが考えられます。ただひところよりはヘッジファンドも少なくなり、ポジションもなかなか空いていないので、もう少しいられるのであれば現状維持が良いとも言えます。
ファイナンスは一要素でしかない
現状をいろいろと書かせていただきましたが、あなたが今やろうとしていることは、金融プロフェッショナルからマネジメント(経営)プロフェッショナルへの移行です。金融で培った財務モデリングのスキルや、弁護士との契約書ドキュメンテーション、市場の感覚はマネジメントの世界でも活きてきます。そして、精緻な計算のように見せている企業価値評価等がいかにアートな世界であるかを知っていることは大きな強みです。
一方でMBAの授業でもそうであるように、ファイナンスは経営に必要な資質の中の一要素でしかありません。そのため、コンサルティング会社、企業再生、事業会社の業務においてはまだまだ学ぶことがあります。
もう一つ大きな問題は、その業界特性として外資系金融の給与が高いために、給与が3分の1以下になることも覚悟しなければならないことです。提示された給与を見て月給と年収を間違えてはいけません。
外資系金融機関にいる場合、30代前半は大きな岐路です。これ以上の歳を重ねると、ヘッドハンターの言うところの「金融臭が強すぎる」ことになり他業界には行きにくくなります。ここまでで稼ぎ切らずにクビになると、個人で金融ブローカーになる人も多いですが、今までの巨大な看板と資本がなく在野に出ては世間の風も冷たいものです。
ふらふらするよりはMBA
まだ30歳であれば、今までに貯めたお金で海外MBAに行くのも一つの選択肢でしょう。もちろん学ぶことはほとんどなく、楽しい休暇にはなってしまいますが、ふらふらしているよりは、景気の潮目が変わるのを待ち、世界で人脈をつくり、起業も含め次に身を置くビジネスをじっくりと考えるほうがいいでしょう。
ある意味、今まで稼いだお金は立ち止まって考える時間を買うためのお金だったとも言えます。キャリアチェンジとしてのMBAはありですし、今さらMBAじゃなくても良いとも言えます。
私の先輩で30代でトレーダーを辞めた後に医学部に行き、医師になられた女性がいました。30歳ではまだまだ仕事人生は続きます、ここらへんでたそがれてしまわずに、政治・経済が激動する中、Gゼロ(国際社会におけるスーパーパワーの不在)の世界の中で、どうしたら楽しく生きられるかを考えましょう。
塩野 誠しおの まこと
経営共創基盤マネージングディレクター・パートナー
経営共創基盤(IGPI)パートナー/マネージングディレクター。1975年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。米国ワシントン大学ロースクール法学修士。 シティバンク銀行、ゴールドマンサックス証券、インターネット関連会社起業、ベイン&カンパニーを経て、ライブドア入社。 ライブドアではベンチャー企業投資・M&A担当者としてニッポン放送買収などの案件に関わる。ライブドア証券取締役副社長を務め、同社の上場廃止 までを経験した。現在は企業の事業開発、危機管理、M&Aアドバイザリー等に従事。著書に『プロ脳の作り方』『リアルスタートアップ 若者のための戦略的キャリアと起業の技術』がある。
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