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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社投資銀行部門(IBD)に新卒で入社した、小川克貴。教育系企業、ドリーバのM&A案件にアサインされた。だが、買収予定のユニパルス社に別の買い手として中国系企業が名乗りをあげた。ユニパルス社は、自社の理念を引き継ぐためにドリーバに買ってほしいが買収価格を3倍にしてほしいという。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第十四章 ドライ 後編
M&Aヘッドから追加で与えられた業務量は今までの比ではなかった。
エクイティストーリーの作り直し、エクセルでのバリュエーションの叩きなおし、ビジネスDD(※)の再整理などをやらねばならなかった。
エクイティストーリーやバリュエーションを構成するのは町田さんがメインで行うことになっていたが、切り分けられたタスクが克貴たちに振られた。マルチプルを出すための競合他社の財務分析、業界リサーチのやり直し等や、それらに伴う資料作成の嵐だった。
シナジーを高めに見積もって引き直す。そのアップサイドケースを想定するのに新たな事業戦略の提案も含まれていた。
克貴と高嶺に与えられている業務だけでも恐ろしいものがあった。通常3カ月くらいかけて行うものを3週間以内には行わないといけない。3週間というのはドリーバに与えられた期限であり、投資銀行としてはこれよりももっと早く終わらせ、ドリーバと共有して進めなければならなかった。
毎朝9時にドリーバにM&Aの状況をサマリーレポートとして送る仕事を高嶺と分担している。
いつもは克貴が大まかな内容を作り、残りを高嶺がチェックし、修正したものをメールで送付する流れになっていた。いわば高嶺が1つ上のような立場になっていること、そのポジションの取り方の巧みさに克貴はイラつきもしたが、最近はそんな感情を抱く暇もないくらい忙殺されていた。
だんだん、協力しないとやっていけないことを分かってか、高嶺の態度も軟化しているように感じていた。克貴がやるべき修正を嫌味もなくやってくれるなど、仕事の奪い合いといった様子はなくなった。手柄よりも目的達成を優先するようになっていた。
高嶺はプライドが高く、同期に負けたくないという向上心が強かったが、それ以上に業務を滞りなく遂行しなければという責任感の方が勝っているようだった。次第に克貴は、高嶺に対して、同期として以上の親しみを感じるようになった。
彼の抱いている感情も手に取るように分かったし、仕事上同じ苦労をする中で、なんとも言いがたい絆があるような気がしていた。
克貴は今まで以上に高嶺を気にかけ、観察するようになった。すると高嶺の体調が日に日に悪くなっているようにみえた。ふらついたり、青ざめていたり、手が止まっていることもあった。
「顔色良くなさそうだけど、大丈夫?」と克貴はある日、見かねて言った。
「いや、問題ない。ありがとう」と高嶺は弱々しく笑った。
高嶺が受け持っている財務分析はノルウェーの企業群のリサーチだった。IFRS(国際会計基準)を踏まえるだけでなく、ノルウェー固有の事情も絡み合い、非常に難易度が高そうだった。
克貴はフィンランドの企業群を割り振られていた。言語も難しかったし税制も日本とは全く違い、自分ではお手上げ状態だった。
このまま独力では終わりそうにないと思い、町田さんに聞きに行くことにした。潔く分からなかったと謝ろう。
町田さんは「これはむずいよな」と言いながら教えてくれた。
日曜日の夕方、克貴はフィンランドの企業群の分析を終えた。月曜の正午に会議で報告することになっている。なんとか間に合った。
一方で高嶺はパソコン前にかじり付いていた。
「お疲れさま。なにか手伝えることある?」と克貴は高嶺に声をかけた。
「いや、俺は大丈夫だ」と高嶺は制するように手をあげた。
「じゃあお先に。残り頑張って」
「ああ、サンキューな」
翌日の昼になった。高嶺はおばけのような顔をしていた。彼が珍しく叱られていた。結局ノルウェー企業群の幾つかの分析を終わらせることができなかったようだ。
彼のような優秀な奴でも失敗することもあるのだと、克貴は高嶺に人間味を感じた。
必死に頑張っても、うまくいかないときもある。互いが互いのことを意識し、同じ空間で仕事に向き合い、切磋琢磨している空気感はどこか清々しくもあった。
一緒に頑張らないと進まないし、どちらかが欠けても成り立たない、そんな均衡で克貴と高嶺の関係が保たれているような気さえした。これが同期という存在なのかもしれない。
初めて2人でカフェに行った。その日、カフェ店員の葵はいなかったが、克貴は高嶺と2人で話すことに心地よさを感じていた。お互いのつらい境遇を分かち合えるというのはかけがえのない関係性だった。
高嶺が初めて遅刻をした。朝のサマリーレポートは克貴が1人で送信した。メールを送るときこれで問題ないだろうかと少し指が震えた。普段いてくれる高嶺のありがたさにそのとき気がついた。
申し訳なさそうに席に着いた高嶺に、疲れているのだろうと栄養ドリンクを差し入れた。いつもなら、俺はこんなものに頼らなくても元気だと気丈に振る舞いそうなものだが、今日の高嶺は違った。
下を向いたまま受け取り、ふたを開けたと思えば、手を滑らせこぼしてしまっていた。
「大丈夫か?」と克貴は高嶺に声をかけた。
「見えなくなってきたかもしれない」と高嶺はかすれた声で答えた。
「目が痛かったりするのか?」
「そういうわけじゃない」と言いながら、高嶺はこめかみを押さえてうつむいた。
次の日も高嶺は定刻よりもかなり遅れて昼前に出社した。顔を押さえ、具合が悪そうだった。
克貴も連日の夜中までの作業でふらふらになり、仮眠を取ることにした。トイレに向かうと奥の個室は埋まっており、手前の所に入った。
モーガン土井と誰かの話し声が聞こえた。
「高嶺くんは優秀だと思っていたが、あいつは厳しいかもな。やっぱりコミュニケーションを取っていけるやつじゃないとバリューがないな」
――あの人はかっちゃんの一部分だけを見て評価しているんだよ。
かつて葵にそう言われたことを思い出す。たしかにモーガン土井は人の何を見て、何を理解しているというのだろう。
その翌日、高嶺は昼過ぎに出社し、日が傾く前に早退した。
それからはあっという間だった。
高嶺がいない分、高嶺の担当していた仕事の一部が克貴に回ってきた。ただでさえ激務の中、さらに負担が増えたことで、周りも見えないほど働いた。「こんな大変な時に体調を崩すなんて、高嶺しっかりしてくれよ」と思わずにはいられなかった。
でもやはり欠勤している高嶺が心配だった。
暑いくらいの暖房で唇が乾燥する。街は年始のお祭りモードが月末まで続いていたが、克貴には関係がなかった。怒濤(どとう)の一週間だった。
人は認識したくないものから目を背け、現実を拒む。
高嶺の席に向かって声をかけた。空気が乾いているからか声がかすれた。
克貴はもう一度声をかけた。
だが返事がなかった。
そこにあるはずのものがない。ぽっかりと消えてしまった過去のように。
高嶺の机に几帳面に整理されて置いてあった本や資料集がきれいになくなっていた。最初からそんなものがありもしなかったかのように。高嶺の名札すら見当たらなかった。
「この席はどうなっているんですか?」と克貴は思わず、近くの秘書の女性を問い詰めた。
「それだけど、明日から新しい人の席になるみたいよ」
「え」と克貴は言葉を失った。
「どうやら日系証券出身の2年目の人が小川くんたちの同期年次として入社するみたいよ」とその女性は何でもないことのように言った。
簡単に補充されてしまうのだ。誰が抜けようが組織は回る。悲しいほどドライに。
※DD デューデリジェンスの略。投資を行うにあたって、投資対象となる企業の価値、リスクなどを調査すること
(第十五章 貴 前編につづく。2023/4/14更新予定です。)
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