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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社投資銀行部門(IBD)に新卒で入社した、小川克貴。教育系企業、ドリーバのM&A案件にアサインされた。だが、買収予定のユニパルス社に別の買い手として中国系企業が名乗りをあげた。中国系企業には手を引くよう言われるが、克貴たちはユニパルス社と改めて話し合いの場を設けることに。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第十四章 ドライ 前編
見覚えのある人物は、克貴がいることが分かっていたかのように笑った。
そこにはロンドンで出会った山崎社長がいた。
その横には人の良さそうな上品な紳士が立っていた。
名刺交換をするとその紳士はハートこと、ユニパルス社の社長だと分かった。リサーチ時に見た写真の固い印象とはかなり違った。
ユニパルス社はアメリカの企業だったが、社長は日本人の壮齢の男性だった。
席に着くなり、山崎社長はパンと大きく両手を鳴らし、さも当然かのようにイニシアティブを取った。
どうやら、ユニパルス社側に山崎社長のファンドがついているようだった。ファイナンシャルアドバイザー(FA)というよりも株主として関与している様子だった。相手方の大株主が山崎社長のファンドだったのだ。
「このようなビジョンと思いを持たれているのです」と山崎社長はユニパルス社の現在のシチュエーションを流暢に話すと、そのトップである社長に向き直った。
ユニパルス社の社長は目をつむりゆっくりとうなずいた。大きく息を吸い、ドリーバの社長に向き合った。
「世の中の人々が前を向いて生きていけるような教育を提供するのが、我々の使命です。そのために我々は誠心誠意サービスを展開してきました。就活を通じた大学生向け教育サービスは日本に絶対に必要です。就活の間に“ビジネス戦闘力”がつけば、企業の中で即戦力として活躍し、日本の未来を切り開けるからです。それが結果的に、お客さまの幸せにつながると信じています」
ユニパルス社の社長は視線をそらすことなくドリーバの社長に言葉を投げていた。
ドリーバの社長もそれを正面から受け止めていた。
ユニパルス社の社長は、アメリカ企業の社長を務めてはいるが、自分が生まれ育った日本の未来のことは常に気にかけており、そのため日本にも事業展開をしていたのだという。
「そのためには社員が自由にノビノビと、やりがいを持って働かないといけません。社員を守りたいのです。今回、ドリーバさんだからこそ、売却を考えたのです。
本心で話しましょう。中国企業のファーチャオには正直抵抗があります。彼らの流儀では我々の大学生向けの教育サービスの理念がゆがんでしまうように思えてならないのです。だからこそドリーバさんに頑張ってほしいのです」
とユニパルス社の社長は涙ぐみながら話した。
「そんなことは許してはいけない」とドリーバの社長は強く言った。
こちらも今にも、涙をこぼしそうな表情をしていた。
「日本を世界に恥じない教育大国にしていきたい。そのためにドリーバは創業されました。これまでもその揺るぎない思いを持って、ずっとやってきた。今回のM&Aでもそれは変わらない」とドリーバの社長は力を込めて言った。
克貴はその言葉に感銘を受けながらも、周囲の様子を伺った。町田さんは話し合う社長2人を見比べていた。
いくぶんか大仰に山崎社長は表情を緩めてうなずいた。かと思うと、打って変わって表情を引き締めて言葉を発した。
「ファーチャオは事業の再構築に取り組むと考えられます。もうけには貢献していないが、日本のために間違いなく必要な就活事業などの教育サービスは、ことごとくつぶされてしまうでしょう。そうでなくても人員を減らされ、質の高いサービスが提供できなくなるかもしれません。ファーチャオは、日本での事業をつぶしてアメリカ市場だけにフォーカスする魂胆かもしれません。そうすればユニパルス社の理念が崩れ去ってしまい、日本を良くするためではなく、利益のみを追求した恥ずべき企業に成り下がってしまう。それはユニパルス社の社長にとって最も避けたいことでしょう」と話す山崎社長は口角を上げつつも、笑ってはいなかった。
克貴は経営者たちの生きざまが垣間見えた気がして、胸が熱くなっていた。
息をするのも忘れるほど見入っていたらしく、力を抜き、周りを見ると、ドリーバの社長の目の色が変わっていた。人生経験の少ない克貴から見ても明らかだった。
町田さんは眉間を寄せ、どこか厳しい顔をしているようにも見えた。町田さんは熱くなるとこういった難しい表情になるのだろうか。
他のバンカーたちは頬が上気しつつも、真摯(しんし)に聞く姿勢を崩していなかった。
「5,000人以上いる社員の暮らしを守り、彼ら彼女らの尊厳を守るのが私の社長としての使命です。そしてお客さまに愛を持って誠実にサービスを届け、世の中を底上げしていくことこそが我々の正義です。その覚悟を全うできないような取引は断じて行いたくないのです」とユニパルス社の社長は強く言った。
山崎社長はそれを横目で見ながら、一瞬顔を伏せた。力強く賛同するようにうなずいていたが、山崎社長の目には何も映っていなかった。
「このようにユニパルス社の経営者はドリーバさんと一緒にやっていきたいと願っています。M&A後も持続可能な事業にするためのパートナーは、ドリーバさんしかいないと考えています。しかし、ファーチャオの言い値がドリーバさんよりも高い以上、安いところへ売るのは経営者としての仕事をはたしていない。ある意味会社に損害を与えており、利益相反ともいえます。そこで、ドリーバさんにはファーチャオを1円でも超えるオファーをしていただきたい。具体的には今の3倍。
そうすれば間違いなく大手を振ってドリーバさんに決められます。ここだけの話ですが、中国企業が狙っているということをどこかから聞きつけたのか、シンガポール系の投資ファンドも我々に接触してきています。ただ、オファー額は言えませんが、そこもドリーバさんよりも高値を伝えてきているのが現状です。せめて日本企業であればよかったのですが。すぐに決めていただかないと海外企業の候補が次々と増えていくかもしれません。
3週間待ちましょう。その間に社内調整を終えてください。でないと我々としては本意ではないが、中国企業のファーチャオ、あるいは他の海外企業に決めざるを得ないでしょう」
と山崎社長はゆっくりとドリーバの経営陣を見つめていき、言葉を切った。
エレベーター前まで見送り、扉が閉まるまで深く頭を下げた。エレベーターが動く音を聞くと急に力が抜けて、安堵感が訪れた。
「ユニパルス社の社長は素晴らしい人徳者ですね。そこまでお客さんや社員のことを思っているなんて。でもファーチャオの立場からしたらかわいそうですね。だって高値を提示しているのに、好みで選ばれない、あるいはバリュエーションを高くさせられているともいえるのですから」と克貴は言った。
「うーん、そうだな」と町田さんは奥歯に物が挟まったような言い方をした。
「何か気になることでも?」
「あの山崎社長、どこかで見たことがあると思っていたら、かの有名な元シルバーマンウィングスのすご腕トレーダーじゃないか」
「実はロンドン研修のときにたまたま山崎社長とお会いしたんです。逆境に打ち勝ってきたすごい人ですよね。経営哲学についてご教示くださいました」と克貴は声を弾ませた。
「こうなると話は変わってくるかもしれないな」と町田さんは眉間に皺を寄せた。
「どういうことですか?」
「ユニパルス社の社長もうまく踊らされたかもな」と町田さんは唇をかんだ。
「あの真摯なユニパルス社の社長に山崎社長も共感したから投資をしている。だからこそわざわざ話し合いの席に出てきているのではないですか? ユニパルス社の企業理念を守れるように山崎社長も必死に頑張っているように見えましたが」と克貴は訳が分からずほえた。
「彼みたいなドライな人はそんな非合理的じゃないよ」と町田さんはすべてを達観したように言った。
「ファーチャオの買収をなんとか阻止して、ユニパルス社を守ろうとしていたじゃないですか」と克貴は食いついた。
「いや、うちが当て馬な可能性もある」と静かに町田さんは言った。その言葉に重みがこもっていた。
「まさか」と克貴の頭は真っ白になった。
「ドリーバからの高値の金額を引き出してしまえば、その金額をもってファーチャオにさらに交渉できるからな。それに山崎社長のようなドライなタイプは従業員のことや企業の理念なんて金稼ぎのツールにしか考えていないさ。
山崎社長はやり手のトレーダーだっただけある。公開市場においては株価をつり上げるような相場操縦はご法度だが、M&Aのような非公開取引なら株価というものは相対的に自由につり上げられるからな。需給に対する嗅覚が天才的だ」
「そんな……」
感情が追い付いていなかった。
「ビジネスの本質は何か分かるか?」と町田さんは真剣な様子で問うてくる。
「ビジネスの本質は顧客への価値提供であり、その結果、社会により良い影響を与えることじゃないでしょうか。そういったビジョンがない会社はやはり本質的ではないように思います。それこそユニパルス社のような思いを持った会社は素晴らしいのではないですか」と克貴は答えた。
「ここまでの話を聞いてもそう思うか?」と町田さんは挑むように言った。だがいつものような余裕はないようにみえた。
「いや、少なくとも金もうけがビジネスの本質とは言いたくありません」と克貴は少し声を高くして言った。
「ビジネスの本質はアービトラージだよ。アービトラージというのは価格の差分で利益を得ることさ。トレーディングの世界では為替や金利の市場価格差を利用して、もうけることをいうがな。
ビジョンもアービトラージでしかない。世の中で達成すべき世界観や課題を先取りしていればアービトラージだからだ」
今度は頭が追い付いていなかった。
「最強のアービトラージは何か分かるか?」
「誰も気がついていない大きなアービトラージを見つけることですかね? それこそ市場レベルの」
「需要を作り出す、つまり欲しくさせるということだよ。欲望の生産さ。ユニパルス社の社長に熱くああ言われれば、教育大手のドリーバが引き受けないわけにはいかないだろう。引き受けなかったら、それこそ恥だよ。しかも山崎社長は、そのあたりが巧みだった。国という帰属意識をかき立てて、海外勢に負けてはいけないという対立構造を嫌味なく刷り込んでいた。ドリーバの社長には、日本を背負ってこの案件を勝ち切らねばならないという呪縛を刻めたわけだからな。日本を救う企業がドリーバだと、このM&Aに新たな価値をつけ足したのさ」
「なんという……」
そんな戦いが繰り広げられていたとは思いもしなかった。克貴はただただ胸を熱くしていただけだった。
「今日の1時間の会議だけで2000億円をつり上げられているわけだよ。欲望をくすぐり生産しているだけで。当て馬として、値段のつり上げのために」
「そんな……ちょっとしたことで……」
「知っての通り、ドリーバの社長はビジネスパーソンとしても優秀だが、名誉や恥といった体裁や正義感も大事にする人間性だろ。
そこをうまく突いたのさ。おそらくだが、克貴が山崎社長と今まで話した中で、恥なんて言葉は出てきたことがないんじゃないか? ドリーバの社長への自尊心を射抜くキラーフレーズだと見抜いて、あえて多用していた。そう考えるとすべて合点がいく」
「まさに感情のアービトラージですね。企業の価値は変わっていないのに、感情を刺激し欲求が高まったことで価格が上がったわけですもんね。ドリーバの経営事情も熟知していることも山崎社長がいかに手練れであるかがうかがえます。提案してきた額が、ドリーバの中期計画M&A予算のギリギリの範囲内の数字なのですから。
ドリーバ側から高いオファーを確定させた状態でファーチャオに交渉をすれば、2000億円どころじゃない吊り上げが可能になるかもしれないってことですか……」
克貴は一気に湧きあがってきた思考を言葉にした。そうすると町田さんは満足げに克貴の肩を2回小突いた。
「克貴、成長したな。知識や経験が一定以上になると、人は急にブレイクスルーすることがある。どこかでぐんと伸びる瞬間がある。一を聞いて十を知るように、物事の本質をつかめるようになってきたな」と町田さんは克貴をほめた。
克貴はその言葉にうれしくなって顔を赤らめた。
「仮説思考力は町田さんから教わってきましたから」と克貴は平静を装って言った。
「それに、だ。ひょっとしたら、山崎社長はまだ知らない交渉カードを持っているのかもしれないぞ……、それこそ仮説でしかないが。これはますます困難を極める案件になりそうだな」と町田さんはしばらく黙りこくった。
「今からモーガン土井さんやM&Aヘッドと話してくる。すぐに呼ぶと思うから、高嶺にも声をかけておいてくれ」と町田さんはヘッドたちの方へ走っていった。
(第十四章 ドライ 後編につづく。につづく。2023/3/31更新予定です。)
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