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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社投資銀行部門(IBD)に新卒で入社した、小川克貴。教育系企業、ドリーバのM&A案件にアサインされた。コンペで勝ち、ドリーバの案件は正式にドイチェガン証券が担当することに。キックオフミーティングを終え、ドリーバの買収先企業とも話がまとまりつつあったが、別の買い手が現れ、雲行きが怪しくなる。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第十三章 絶句 後編
ドリーバにとって買収の敵にあたる企業から連絡があった。正確には、敵にあたる企業のファイナンシャルアドバイザー(FA)を通じて連絡があった。
敵企業のFAは外資系投資銀行のひとつ、UBUだった。通常のM&AにおいてFAは投資銀行のほか、FASやM&Aブティックなどが担うことも多い。
ロンドン研修のときに同部屋だった山崎社長の話では、UBUには克貴の父がいたらしい。なにやら因縁も感じる。
敵のFAから直接連絡があり敵企業と話し合いの場を設けるというのは通常、あまりないことだ。
敵企業は中国系のコングロマリット企業だという。
UBUの説明によると、中国系のコングロマリット企業が「腹を割って話したい」のだという。UBUは中国コングロマリット企業の意志を伝達するメッセージを預かっているとのことだった。
そして会合が設定された。
UBUのオフィスは照明が強く、緊張感が走っていた。
受付に案内され、通されたミーティングルームは、マホガニー材の濃い褐色の大きい机にリクライニングチェアが整然と収まっていた。
克貴たちはそこで待たされていた。
ドアを開いてUBUのバンカーたちが入ってきた。
最後の人が入室した途端、空気は一変した。眼光が鋭い男性だ。
彼がこの中で一番立場が強いのは、周りの態度を見るまでもなく分かった。
名刺を交換すると、その男は冨神貴毅(とがみたかき)と名乗った。役職はマネージングディレクター(MD)であり、特別顧問だ。
克貴は絶句した。まさかここで父親と対面することになろうとは。幼い頃に別れたきりで顔は覚えていなかったが、対面すると記憶とともに印象が蘇ってくる。
父は克貴に気付いただろうか。名前で気付いたかもしれない。
気になって仕方がないのに、視線を合わせたくない。そんな葛藤にはお構いなしに、冨神貴毅は場の主導権を握ったまま、話を進める。
端的に言うと、このM&A案件から手を引いてくれというのがUBUからの要求だった。冨神貴毅の話しぶりには有無を言わせない圧迫感があった。
「いずれにせよ、価格交渉の消耗戦になる。だから早めに手を引いた方が身のためだ。
中国企業は資産が莫大であるため、ドリーバに勝ち目はない」と通告してきたのだ。
「なぜユニパルス社の買収にこだわるんです?」と町田さんは冨神貴毅の圧にのまれないよう、あえていつもの調子で話しているように見えた。ユニパルス社とは買収先企業の名前で、案件上ハートと呼んでいる企業だ。
「魅力的な会社だからですね」と冨神貴毅は無表情を貫く。
「どういうところがですか?」と町田さんは前のめりになった。
「あなたがたもそう思うから案件化しているのでしょう?」と一向に取り合わない。
「だからこそ負けられません」と、柄にもなく町田さんは熱くなる。
「あなたがたの予算を私たちはつかんでいます。それ以上出す準備がこちらは整っています。ですから、時間をかけるだけ無駄です」と冨神貴毅は最後通告のように言った。
「金の力に頼っているわけですか?」と町田さんは皮肉った。
「聞き捨てならないですね」とUBUの別のバンカーが言った。年齢からみて50歳手前のMDだろう。しかし冨神貴毅に比べると威圧感では到底及ばなかった。
「素晴らしいものを正当な価格で評価しているだけですよ。私たちなりの理論株価があり、その評価が高いということでしょう。現状と理論価格との差をアービトラージするのがM&Aの鉄則ですから。むしろひどいのはあなたたちではありませんか? 不当に買いたたこうとしているわけですから」と冨神貴毅は答えた。
「その高い価値にはどういったシナジーを見込んでいるのでしょうか?」と町田さんは食って掛かる。
「シナジーというのは、言わずもがな3つありますね。売上シナジーとコストシナジー。そしてバランスシート上のシナジーですね。我々もこの3つのどれかを見込んでいる、とだけ言っておきましょう。あなた方ドリーバが見込んでいるシナジーは売上シナジーといったところでしょうね」と冨神貴毅は子どもをあしらうかのようにして取り合わない。
「ええ、ドリーバが近年力を入れているのが社会人向けのリカレント教育、リスキリングといわれる領域です。これらを充実させた先に、大学生向けの教育領域にも手を広げ、その分野でプレゼンスを発揮しているユニパルス社が重要になってきます。点ではなく、面で長期的かつ確実に売上を取っていくためのシナジーといえるでしょう。UBUさん側はいかがでしょうか?」と町田さんは糸口をつかもうと必死にすがる。
「素晴らしい戦略ですね。我々がFAでも同じ提案をでしょうね。コンペがあったとうわさに聞きましたが、シルバーマンウィングスに勝てたのも、泥くさく、その重要性を説明できたから、といったところでしょう。我々も広く言えばそんなところです」と冨神貴毅はひらひらと舞うように質問をかわした。
町田さんはひらめいたように切り込んだ。
「売上ターゲット地域を転換するんですか? 中国では教育系サービスが政府の施策によって壊滅的な打撃をうけましたよね? だからその分を補うために日本に進出を狙っているのではありませんか?」
「さあ、ご想像にお任せしましょう」と冨神貴毅は余裕の表情で笑った。
「食えないですね。しかしあなたがたにとって日本の大学生向けの教育サービスにうまみがどれだけあるのでしょうか?」
「そろそろ時間ですね。お話しできて非常に有意義な時間でした。それではドリーバさんに降りていただくようお願いしますね」と冨神貴毅は憎たらしいほどの満面の笑みで言った。
冨神貴毅は克貴に一瞥(いちべつ)もせず、部屋から去った。
圧倒された。克貴は大声で叫び出し、胸をかきむしりたくなった。
ドリーバがリカレント教育の充実・拡大を目指すために、M&Aで必要なピース。それが大学生向けの教育サービスだ。それも学業と実業をつなぐような、タスクマネジメントやタイムマネジメントを基盤としてビジネス戦闘力を身につけるサービス。ユニパルス社、つまりハートはそれが強みだった。
そして学生に寄り添い、就職活動まで支援し、キャリア構築の準備をする。
しかし、あの中国系企業がハートに興味を持つ理由がいまいち分からない。彼らにとって日本の就活はどうでもいいものだろうし、日本でキャリア関係のサービスは何も展開をしていない。さらにいえば、中国系企業のポートフォリオとしてもあまり重要な位置を占めるようには思えない。
もしくはドリーバとは違って日本市場が狙いではないのかもしれない。ハートはアメリカに本社がある企業で、日本セグメントが優勢だが、もともとのアメリカにも事業展開しているからだ。
あるいは事業的にシナジーが見えないのであれば、単に投資対象として考えているのだろうか?
そうすると利益が得られないといけないが、その観点だとハートは割安だとは到底思えない。企業価値は上がっていくだろうが、堅調な伸び、といえるぐらいでしかないだろう。
そもそもEBITDAマルチプルで15倍以上出してしまえば割安とはいえない。それに彼らはもっと資金を用意していると言っている。これではバリュー株としては成り立ちそうにない。
なにか見落としているポイントはないだろうか?
そうドイチェガンの社内で議論が白熱していたときに、電話が鳴った。
MDがその電話を取ったあと、翌日に緊急会議が設定された。
ハートからの連絡だった。
それまでに情報を整理することに奔走した。時間がないのにもかかわらず、あまりの仕事の多さに、高嶺と克貴は仕事を奪い合うこともなく分担した。上司にアピールをする気力もないくらい大変だった。
案件に暗雲が垂れ込めて以降、余裕がなく、気がついたら街や周囲はクリスマスに向けたイルミネーションの電飾で溢れていた。
「最近、大変そうね」とエレンは心配そうに言った。
「案件がすごく立て込んでいて、話したいけどほとんど言えないんだ」と克貴はため息を漏らした。
「気晴らしにコーヒーでも飲みにいきましょうよ」とエレンは言った。
コーヒー店に入ると、店内には陽気なクリスマスソングが流れている。当たり前だが、仕事の大変な状況とは関係がない世界が広がっている。世界はつながっているように見えて、目に見えない壁で隔てられている。
カウンターにいる葵にコーヒーを注文すると「最近、高嶺くん見ないわね」と彼女は何気なく言った。
克貴は苦々しい気持ちが表情に出ないよう、必死に抑えた。
「案件で忙しいからね」と克貴は言った。
「最近は協力的にやっているみたいじゃない? 業務がパンパンになると自分1人ではできないもんね」とエレンは克貴を小突いた。
「大変な状況になってはじめて真理が見えるなんて皮肉だよね。人は1人では生きられないってね」と克貴はどこかで聞いたセリフのように言った。
「純粋な愛が真実を見えにくくさせているのかもね」と葵は言った。
「どういうこと?」と克貴とエレンは2人声をそろえた。
「真っすぐすぎると折れやすい。妄信的になって視野が狭くなってしまう。世界がこれだけしかないと曲解してしまうの、純粋が故に」と葵は意味深につぶやいた。
「仕事もそうなのかな?」と克貴は話をそらした。
「この仕事やキャリアしか正解じゃないと思っている人っているでしょう? 高嶺くんもそうなのかもしれない。強い思いであればあるほど自分を型にはめてしまうことにもなるんじゃないかな」と葵はさらりと言った。
翌日、連絡があったハートとの打ち合わせが始まった。ドイチェガンのオフィスに来訪してくれるという。
扉が開いたと同時に一同は立ち上がった。克貴は顔ぶれを見て絶句した。
そこには見覚えのある人物が同行していた。
(第十四章 ドライ 前編につづく。2023/3/17更新予定です。)
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