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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社投資銀行部門(IBD)に新卒で入社した、小川克貴。教育系企業、ドリーバのM&A案件にアサインされることに。まずはコンペで勝つ必要があった。コンペ当日、町田の機転のおかげで、競合のシルバーマンウィングスと差をつけることに成功し、無事、案件を獲得することができた。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第十二章 温度感 前編
スーツの隙間から冷たい風が入り込む。信号の色が気持ちばかり鮮明になる肌寒い季節だ。
コートを着ている人もちらほら見受けられる。ポケットに手を入れ、身体を縮こめ、足早にオフィスへと向かう。
克貴は先日のコンペを思い出していた。あのときは、スーツが汗ばんでいた。きっと暑さのせいだけではなく、かといって緊張のせいだけでもない。切り札、あれは熱かった。
華麗にあの場の空気を持っていった、町田さんの姿が目に焼き付いて離れない。あのシーンを脳裏に思い浮かべると、自身もいつか町田さんのように活躍するのかと、胸が高鳴ってくる。
朝一の仕事の資料を、呼吸を忘れたように集中して作っていく。その後、午後までが締め切りの作業を済ます。
一段落してコーヒー店へ向かう。途中で誰にもすれ違わないようにと、どうでもいい願掛けをする。道中の廊下には誰もいなかった。
「かっちゃん、ブラックコーヒーどうぞ」
最近克貴は、熱いブラックコーヒーを頼むようにしている。前までは苦すぎて飲めたものではなかった。だが、ロンドン研修を経て今ではその苦さも悪くない気がしている。少し大人になった気分になるのだ。
葵と仲良く話せた日はなぜか仕事の調子がいい。最近は、他人行儀だった雰囲気から、打ち解けて自然に話せるようになった気がする。
受け渡しのときに手が触れる。そのわずかなことに意味を感じてしまう。ほんのり体温が上がる。
「あっ、高嶺くん」と葵は上品な声色で言った。
克貴が振り向くと、ものすごい表情でにらむ高嶺と目が合った。
高嶺は瞬時に、いつものビジネススマイルを見せ、葵に向かってほほ笑んだ。
だが、上司に対して見せるスマイルとは決定的に異なるものがあった。
それは温度感だった。ほのかに紅潮した頬と耳。彼のシャープなイメージが心なしかやわらいで見える。
克貴が立っている位置に割り込むと、高嶺は「いつものをお願い」とこれ見よがしに言った。
そんな高嶺の様子を克貴は直視することができなかった。目を伏せると、高嶺が不規則に手を震わせているのが目に留まった。
急に克貴の中で、高嶺に対する印象ががらっと変わった。
「ねえ、2人は同期なんでしょ?」
「そうだよ。やっている仕事内容は違うけどね」と高嶺が少し胸を反らして言った。
「不思議ね。同期には見えない」と葵が言うと、高嶺は誇らしげに目を細めて克貴を見た。克貴は真意を測りかねて葵を見やった。
「だって、兄弟みたいだわ」と葵はさらっと言った。
「どこが」と克貴も高嶺も声がそろった。まさに今、兄弟のように同時に同じ言葉を発してしまい、克貴は恥ずかしさを覚えた。
「似ているのよね。なんだか人とは違う過去がありそう。意志の強そうな目の輝き、そしてどこかシニカルなところ」
「目指しているレベルも何もかも違うというのに?」と高嶺は葵にではなく、克貴に抗議するように言った。
「案外本人たちは気づかないのかな? その気になればあっという間に距離は縮められるのに、向き合おうとしないと2人の間に引かれた線は永遠に消えないんじゃない?」と葵はほほ笑み、奥の作業場に戻っていった。
克貴と高嶺は言葉もなく、コーヒーを飲み干した。
コーヒーの味がやけに後を引く。戻ろうとする克貴を追い越して高嶺がオフィスのドアを開ける。
目の前でちょうどモーガン土井と町田さんが立ち話をしていた。
町田さんは克貴に向って小さく手招きをした。
モーガン土井は咳払いをすると、冷めた声を響かせた。
「高嶺くん、こっちへ。小川くんも」
少し嫌な予想が当たってしまった。
ドリーバのM&A案件に高嶺もアサインされることになった。優秀な若手を追加してほしいという先方の要望もあったのかもしれない。
高嶺は克貴に対して明らかにライバル視をしていた。ドリーバのコンペに克貴がアサインされたときも、高嶺から一線を引かれた気がした。そしてコンペに勝った今も高嶺の態度はとげとげしい。
克貴はこのM&A案件しか入っていないが、高嶺はこれ以外にも関わっている。
若手が自分で仕事を取りにいくことはないが、ある意味で競争は激しい。いかに案件に携わることができるかで、若手バンカーの立ち位置はかなり決まってしまうからだ。これは特に同じ社内で起こりうる問題だった。克貴には他社のバンカーの友達もいるにはいるが、彼らとの争いは取るに足らないなもので、たまに飲むときに自尊心と虚栄心をぶつけ合うぐらいでしかなかった。
その意味では、高嶺が同じ案件にアサインされることで克貴はまたリードを許すことになった。他の案件にも入っている高嶺とは、経験値も社内での見られ方も差が開く一方だ。
克貴の少し遠慮してしまう性格のせいで、高嶺に手柄を奪われる。そういうところにも差が現れる。
モーガン土井から担当者の指定なく、キックオフミーティング用の資料作成の依頼があった。町田さんから、克貴と高嶺の2人で分担するようにと口頭で伝えられた。
克貴がどういうふうにやればいいかなと考えて過去の資料を読み込もうとしている間に、高嶺が資料のアウトラインを確認するメールを返信した。克貴がメールを見ていないうちに、高嶺が主導してやることになっていた。
同期間で徐々に開いていく格差に、克貴はどうしようもない感情を抱いた。競争があるのは承知の上だし、就活のときからすでに起きていることだ。だから異議を唱えるつもりはないし、むしろ自身の不甲斐なさに胸をかきむしりたくなる。
そしてモーガン土井は、やはり高嶺を買う結果となった。
コンペ後、急ピッチでM&Aの実際のフローが引かれていく。
木々からすっかり葉が落ち、代わりに電飾が巻き付けられる季節だ。コートがなければ、あまりにも心許ない。
まずはドリーバとのキックオフミーティングだ。
(第十二章 温度感 後編につづく。2022/12/23更新予定です)
※都合により第十二章 温度感 後編は2023/1/20更新に変更になりました。
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