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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社投資銀行部門(IBD)に新卒で入社した、小川克貴。教育系企業、ドリーバのM&A案件にアサインされることに。あっという間に案件獲得のコンペの日がやってきた。競合相手はシルバーマンウィングスだ。緊張の中、先にシルバーマンウィングスのプレゼンテーションが終わり、いよいよドイチェガンの順番が来た。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第十一章 切り札 後編
コンペティションの会場は得も言われぬ空気をまとっていた。どこかねっとりした湿度のようなものに覆われる。
いよいよドイチェガンのプレゼンテーションの番である。
町田さんはプレゼンテーションの用意をしているモーガン土井になにやら耳打ちした。そして町田さんはM&Aヘッドにも耳元で話しかけた。ペンを取り出し、さらさらと何かを説明するように書き記しているようだった。
モーガン土井は流暢で聞き取りやすい紳士的な話しぶりだった。克貴にとってモーガン土井のプレゼンテーションを聞くのは初めてだったが、克貴を叱責するときとまるで別人のようだった。丁寧で好感が持て、話の内容がすっと入ってくる。
プレゼンテーションは資料に沿って滞りなく進んでいった。残り5分に差し掛かった時、突然モーガン土井は言葉を切った。そして袖に待機している克貴たちを指さした。するとM&Aヘッドが壇上に上がり、ファイナンススキームの柔軟性について、とうとうと話し出した。M&Aの際の資金源を単なるエクイティファイナンスではなく、新株予約権付社債との抱き合わせで行い、そうしたスキームではドイチェガンに一日の長があるといった趣旨だった。
ファイナンススキームはシルバーマンウィングスが深く触れていなかった部分だった。
町田さんが何やらモーガン土井やM&Aヘッドに耳打ちしていると思っていたが、そういうことだったのか。
2番手で話せるポジションを生かし、シルバーマンウィングスと差別化できるポイントを町田さんは探っていたようだった。
M&Aヘッドが締めの言葉を述べると、心なしかさっきのシルバーマンウィングスよりも間をおかずに拍手が起こった気がした。
質疑応答もプレゼンテーションの各パートについて言及されるものが多く、またファイナンスについても質問が飛び交った。
それらの質問に対しては町田さんがそつなく、相手が納得するように打ち返していた。
そうこうしているうちに質疑応答が終わった。克貴には出番がなく、正直ホッとした。
それから、ドリーバの重役陣はカンファレンスルームを退場し、会場にはシルバーマンウィングスとドイチェガンのバンカーだけが残された。
モーガン土井やM&Aヘッドが戦闘態勢の表情のまま、シルバーマンウィングスの集団に近寄っていく。克貴は息をのんでその状況を見守った。
すると笑い声が聞こえてきた。
打ち解けた様子で話している。聞くと前職で同じ外資系投資銀行に勤めていたり、先輩後輩が共通の知人であることが多いのだという。
しばらく穏やかな空気が漂っていたが、最終質疑応答の時間を前に、また緊張関係に逆戻りした。
「最後に言い残したことがあればお願いします」とドリーバの社長が両社に投げかけた。
すぐに、シルバーマンウィングス側が手を挙げた。
克貴は、「これはまずい、勢いで負けてしまう」と気が気でなかった。
シルバーマンウィングスは、プレゼンテーションで話した内容を端的に要約した。それから、日本における外資系投資銀行のM&Aリーグテーブルの話を再度強調し、シルバーマンウィングスと組むメリットを力説していた。
ドリーバの重役たちがこれまでよりも大きな拍手を送っていた。
ドイチェガンでもモーガン土井が同じように、プレゼンテーションの要旨をまとめたスピーチを行った。
克貴にはシルバーマンウィングスに比べ、どういうわけかドイチェガンに対しての拍手の質が低いように感じられた。
このままでは負けてしまう……、そう克貴が焦りを感じていると、町田さんが手を挙げた。
「これを見てください」と町田さんはびっしりと乱雑に文字や線が書き込まれた参考書を高らかに掲げた。
ドリーバの重役たちは顔を見合わせた。
「これはドリーバさんが出版している高校生向けの問題集です。書き込みは弊社の若手社員である小川克貴が実際に取り組んだ痕跡です。彼はこの案件に入るにあたって、『クライアントのサービスを体験してかみ締めないと、生きた提案にならない』そう話していました。私も若手の姿勢に感化され、御社の社会人講座をすべて受講し、分析レポートと感想文を書いてまいりました。できればご一読いただけますと幸いです」と町田さんは熱量のこもった声で言った。
すると今までで一番会場が盛り上がり、大きな拍手が起こった。
「素晴らしい。御社にそういう若手は他にもいるんですか? ドリーバは若手社会人、学生向けだから、ぜひ熱量の高い若手の方をさらにアサインしていただきたい」と社長は目を輝かせて言った。
「もちろんです。弊社には先ほどの小川の他にも優秀な若手がたくさんおります」
とモーガン土井が答えた。
克貴は困惑した。問題集をやった覚えもなければ、町田さんにそんな話をした記憶もない。
町田さんの方を見やると、何も言うなといったふうに唇に指を当てていた。
ドリーバの社長が立ち上がった。
「提案内容は両社ともに優良なものでした。どちらかを選ぶのは非常に難しいところですが……」とこれから結果の公表があることを予感させた。
「私は、熱意あるパートナーと一緒に仕事がしたい。ドイチェガンさん、この案件どうぞよろしくお願いいたします」
モーガン土井もM&Aヘッドも固く拳を握りしめていた。町田さんはいつもの余裕を浮かべた顔に戻っていた。
キックオフミーティングの日程を決め、事務的な流れを共有したのち、コンペ会場から撤収した。モーガン土井とM&Aヘッドは別件があるとのことで、先にタクシーに乗っていった。
町田さんと克貴が取り残され、帰路についた。タクシーを拾い、行き先を告げた。克貴は勢い込んで町田さんに質問した。
「町田さんさすがでした。でもあれはどういうことなんでしょうか? 僕に花を持たせてくれたみたいな」
「ドリーバの社長は、熱意を好むタイプだと思っていたからさ。問題集を全部解いたものを見せ、講座も全部視聴して分析したレポートや感想を書くなんて、それを証明するにはもってこいだろう? 徹底的にサポートする姿勢が伝えられる」
「まさかそれを見越して問題集を全部解いて、講座を全部視聴したっていうんですか? 相当、量もありましたよね」
「並行して3つを2倍速で見ていたら、6倍の速さで見られるだろ。普通の人が300時間かかるとしたら50時間だな。ほらたった2日ちょっとで見られる」
「相変わらずぶっ飛んでいますね。でも、熱意を見せるにしたってどうしてあんな気合いみたいな泥くさいやり方をしたんですか? 合理的な町田さんがやらなそうな手だと思いましたが。最初のプレゼンテーションのときみたいにもっとM&Aのスキームの工夫を見せるとかそういうので勝負するのかと」
「合理的に考えて感情で決めるからだよ、最後はな。感情でこっちが良いってなんとなく思って、その裏付けにデータや提案を見るに過ぎないからさ。とくにああいった伝統的な事業会社はその傾向がある」と町田さんは笑った。
「そういうものなんですね。そういえば、問題集や動画資料のレポートは、どうして最初から出さなかったんですか?」と克貴は純粋な疑問をぶつけた。
「切り札は最後にとっておくものさ。出さないことに越したことはない。克貴の言うように俺が見せたいスタイルじゃないしな」
(第十二章 温度感 前編につづく。2022/12/9更新予定です)
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