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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に新卒で入社した、小川克貴。入社後しばらくしてロンドンでの研修が始まった。グローバルの仲間たちとの共同作業を満喫していた克貴に一つの出会いが。宿泊施設がファンド運営会社を経営する社長と同部屋だったのだ。山崎というその男は、壮絶な人生を語り、克貴は聞き入るが……。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第八章 マグマのような冷血 前編
「思考放棄ですか。今のお話を聞くと、他にも同じような例がたくさんありそうです」と克貴は太いくぎが自分の胸に何本も刺さっていくように感じた。
「言い訳をするやつは間違いなく思考放棄をしている。例えばな、自社の商品が他社に比べて単価が高いから売れないと言っている営業マンがいたら、即刻クビにしろ」
「そんな……。努力しないのは良くないですが。仕方ない面もあるように思えるのですが」
「さっきも言った通り、世間の凡庸な常識によって縛られた上場はやめたほうがいい。同様にクソな社員がいたら即刻クビにすべきだ。何でも他人のせいにするクソ社員は会社にとっての腐ったみかんだ。会社の成長を阻害し、士気を下げる。火を見るよりも明らかなことなのに、労働基準法だとか社会的責任だとかいう理由で日本の会社は即日解雇も難しい。だから腐食が進んで死に体になっている会社が多いのさ」
「山崎社長。どういう人がその、良くない社員なのでしょうか?」と、びくつきながら克貴は尋ねた。自分にも少なからず当てはまる部分がありそうだった。それでも今聞かずにはいられなかった。
「他責でかつ批判者だ。現状に不満を持って変えようともせず、ただ文句しか言わないやつらだ。そうなった時点でビジネスを行う資質がない。不満足な点があれば変える努力をするのが当然だ。ときには上長にかけあったり根回しをしたり、それが仕事だろう。社内ですらそんなこともできない無能が、対社外のビジネスで活躍できるか?」
「おっしゃる通りですね」
「そういった生ける屍(しかばね)は引き裂かねばならない。他の人間にもかみついてゾンビに変えてしまう。経営者は屍を踏み越えていかなければならない」
「でも……ひどく冷血なように聞こえます」
克貴は、今まで持っていた考えが崩れていくのを感じていた。
「むしろ残っている社員たちとは、血よりも濃いつながりになっている。荒野を共に走り、命を預ける仲間だからさ」
「でも残った社員もつらいように思います」
克貴はなぜかモーガン土井を思い浮かべ、食い下がった。だが克貴は言葉を発しながらも、ほとんどどんな答えが返ってくるかは分かっていた。
「べったり優しくすることが正しいわけじゃない。いざという時に手を差し伸べられるかどうかなんだよ。分かるだろう?」と山崎社長は慈悲深さをたたえた表情を浮かべていた。
「長い目で適正になるようにしているってことですね。逆に山崎社長にとって適正じゃないことは何でしょうか?」と克貴は尋ねた。すると山崎社長は打って変わった表情になった。
「日本の税金だ。日本が資本主義なんて真っ赤なうそだ。頑張って稼ぐ人こそ損をする」
克貴は山崎社長の言動に一貫性の伴った強い意志を感じた。
「何一つ本質を見ないで正義や大義を振りかざすやつらはその罪深さを知った方がいい」と山崎社長は憂いた顔をした。
「だったらなぜ、そんな見切りをつけているような日本でビジネスをしているのですか?」
「俺は根っからのトレーダーだからな。裁定取引の宝庫だからだよ。信条はどうだっていい。そこにアービトラージのチャンスがあればポジションを取る、それだけさ」
「どういうところに裁定取引機会があるのでしょうか?」
「価格や価値のゆがみに無頓着な奴らが多すぎる。それらを効率化する過程でもうけられるんだ。大勢が気づいていないゆがみが至る所にあって、それが大きければ大きいほどもうかる。体制に背を向けたように見せて稼いでいるのさ」
「すでに莫大な財を成していると思うのですが、その先に何をしたいのでしょうか?」と克貴はわずかばかりの反感を込めて聞いた。
「もうけてどうしたいのかって? 簡単だよ。その資金でもっともうけるのさ。そしてもうけられるチャンスが来たらベットして、次もまた大きくもうける。人間の本質は増やすことそれ自体なんだよ」と当たり前のことのように言った。
「でも、ただお金を増やすだけでいいんでしょうか」と克貴は疑問を口にした。
「よくお金持ちになったらどうしたいという質問があるが、あれは金持ちになる気がない人間がする質問だよ。宝くじが当たったらどうしたいと同レベルだ。つまるところ、もうけようとする意志がないのさ。突然異世界に転生して特殊能力が身についたり、富豪に生まれ変わったりすることなんてありえないんだよ」
「普通の人が宝くじが当たることを夢見るのは、悪いことではないと思いますけど」
克貴はそういいながらも、不安定な気持ちになっていることを自覚していた。
山崎社長のような極端な考え方に染まりたくないと思う反面、強烈に魅かれる思いもあった。
山崎社長の生き方はどういう意義を持っているのか、真に世の中に貢献しているのか、はたまたマイナスの影響があるのか、考えずにはいられなかった。
だが、自身が無力さを感じているのは理解していた。
「自分で稼ぐという意識がない会社員もそうだよ。棚からぼたもちを願うような考え方を持っているやつを労働者マインドと呼んでいる。そういうやつらは自ら使われるだけの人間に成り下がっているのさ。自分の能力の低さには目を塞いで、仮想空間上の高評価を自分だと思い込んで、何でも妄想で生きているやつらのことだ。他人任せで、自分で未来を掴んでいく意識がない。幸せはどこにも落ちていない。自分の意志と行動の中にしかないのに。そんなやつらだから一生価値のない労働者なんだよ」
「でもそれって、個人というよりもこの国や社会に問題がありそうな気がするんですが」
いくら反論を投げても、決して自身の肯定にはつながらないことを克貴は感じていた。どうあがいても自分が事を起こさない限り、何も生まれないのは知っていた。そして哀れな現状の責任を外に求めることは、自ら鎖につながれる愚かな行為だというのも理解していた。
「この国はもうだめだ、が口癖になってはいけない。それは自分の人生を生きていないことになるからだ。あるんだよ。自分ができるのにやれていないことが」
自分は、温かい血の通った人間のつもりだったが、実のところ冷えた火山岩のような人間だったのかもしれない、と克貴は中庭を見た。地形を変えてしまうような大きな熱はなく、いつの間にか冷え切って固まり、その場にとどまるようになってしまったのかもしれない。
人の可能性を信じるという点においては、山崎社長は冷血なように見えて燃えたぎるマグマが胸の奥にある。一方、克貴は自分のことも他人のこともどこか信じ切れない、冷めた現状維持に甘んじていた。
克貴がカップを口に運ぶと、コーヒーはすっかり冷めていた。
(第八章 マグマのような冷血 後編につづく。2022/8/19更新予定です)
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