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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に新卒で入社した、小川克貴。慣れない仕事に奔走するうちにロンドン研修が始まった。グローバルの仲間たちとアクティビティに取り組み、研修を満喫していた克貴に一つの出会いが。宿泊施設の同居人が、あるファンドの社長だったのだ。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第七章 銀の翼 後編
「それにな、金融庁の奴らも常務も相場というものをまるで分かっていない。あんなものはよくあるヘッジ取引でしかない。終値で買い支え株価を上げて、不当に利益を上げたと主張されたが、素人もいいところだ。大きな買いポジションを取ってしまうと、他社のトレーダーに売りを浴びせられて損しかしない」と山崎社長は続けた。
「それはどういうことですか?」と克貴は素直に教えを請うた。
「単純にいえば、大量の買い注文を入れると株価は高くなって、結局高く買わないといけなくなる。反対に、大量の売り注文を入れると株価は安くなって安くしか売れなくなる。つまり高くしか買えなくて安くしか売れないようになっているんだよ」
「でも少しの注文なら株価は高くなる前に安く買えて、安くなる前の高いうちに売れるんじゃないですか?」
克貴は鋭い発見をしたつもりで言った。
「そもそも少量の取引だと株価は動かないから、相場操縦になんて当たらない」と山崎社長は言い切った。
「なるほど」
「まったく煙のような世界だよ。分かりやすく誰かを悪者にしたがる。あいつらは大きな資本を使って不正にもうけているとね。とはいえ、インサイダー規制もそうだが、もうかったから逮捕するというロジックじゃないんだよ。当局が目をつけたものが悪いものに成り変わる世界なんだ。金融庁がガバナンス強化を掲げていた時流だったからな。常務が手を回して俺らをスケープゴートにした」
「え、インサイダーって大もうけしたから逮捕されるのではないのですか?」と克貴は目を丸くしながら尋ねた。
「知らなかったのか? 事前にインサイダー情報を知った上トレードをすれば、大損した場合でも逮捕されるんだ」
「そうだったんですね」と克貴は投資銀行の社員として知らなかったことを恥じた。
「今となっては証券業界を去る良いきっかけだったと思えるが、まさか自分が逮捕されるなんてな。想像できるか? 名門中高一貫校から一流大に行き、シルバーマンに入って。若くして最年少MDになり帝国證券の部門立て直しの白羽の矢が立って……というエリート人生からの逮捕さ」
「壮絶ですね」と克貴は絶句したように言った。
「当然、証券業界には戻れない。20年近くいた業界から去らないといけないのは、心にぽっかり穴があいたみたいだったよ」と山崎社長は遠い目をして言った。
「あの……そこからどうやって立ち直れたんですか?」
「自分で自分を見捨てないことだ。そうすれば黒い壁は崩れていく」
「はい」と克貴はよく分からないまま相づちを打った。霧が少し晴れて中庭の壁には動物の絵が描かれているのが見えた。
「その後アレックスと労をねぎらう会をしたんだが、そこで冨神貴毅(とがみたかき)さんという有力者を紹介してもらったんだ。彼を通して出資してもらえることになったんだよ。そしてヘッジファンドとバイアウトファンドのハイブリッド形式のファンドを作った。最初は30億円規模の小さいサイズだったが、うまくいって大きく利益を出すことができた。今では1000億円規模の第2号ファンドをGP(ゼネラルパートナー)(※1)として運営しているよ」
「山崎社長は能力も実績もあるでしょうし、どんなビジネスをしても成功しそうですね」
克貴には山崎社長が到底同じ人間とは思えなかった。きっと元から天才で次元が違うのだろう。
「そんなことはない。起業して最初は失敗だらけだった」と山崎社長は目を閉じて思い出すように言った。
「本当ですか」
「1人でトレーディングをやって収益を上げられてはいたが、会社を経営するというのは、直接収益に関わる事業以外にもやらなくてはならないことが想像以上にあるんだ。たとえば登記、経理、法務などのバックオフィス系の業務をはじめ、非効率でIT化されていない役所への申請や行政への対応、オフィスも借りないといけないし、備品も一からそろえなければならない。はなからすべて備えられている大企業がいかに恵まれていたのかを思い知らされたよ」
克貴は、いかに自分の視野が限られた業務に縛られていたかに気付いた。
「ほかに大変だったことはありましたか?」
「そもそも人が採れない。くそ忙しくて猫の手も借りたいくらいだから、採用にかける時間もない。まったく、大手金融で働いていたときは採用というのは勝手に応募してきた候補者を振るい落とすだけの殿様商売だった。投資銀行のネームバリューだよ。起業しただけでは、応募に来る人なんてまったくいない。自分から探してアプローチをして、そもそも会社を知ってもらうところから採用はスタートだ。優秀な人間を採用するのがいかに難しいことなのか思い知ったよ。やっと興味を持ってくれた人がいても、平気で他社に流れる。繰り返しているうちに、誰でもいいから一定のスキルがあって、最低限手を動かせさえすれば、とにかく採用したいと考えるようになった。シルバーマンのときだったら一蹴していたような候補者を必死に口説いて、頭を下げて入社してもらえるようにお願いした」
「必要とあれば平身低頭できる山崎社長は、やっぱりすごいと思います」
克貴は山崎社長が頭を下げる姿を想像しようとした。だが克貴には、彼が懇願している姿をクリアに思い浮かべることはできなかった。
「結局、総合商社出身で、専門性を身につけたいと熱意を見せてきた若手を採用した。だがそいつは商社のお堅いふるまいや常識にしがみついていた。仕事を教えても大手から来たプライドがあるのか、理解しようとしないし、なによりスピードが遅すぎる。Excelも外銀の新卒1カ月目よりできないし、計算のロジックも適当で本当にありえなかった。辞めさせた帝国證券のエクイティ社員たちの方がよほど優秀だったよ」
「その商社の彼もしんどかったでしょうね」と克貴は自身とその若手社員を重ねながらつぶやいた。
「いやあいつは平気な顔をしていたよ。むしろ自分が商社の中でも仕事ができる方だと自負があったんだろう。仕事ができないくせに自己評価だけが高いんだ。だから高い年収をもらえて当然と思い込んでいるし、評価が低いだの給与を上げてくれだの、権利ばかり主張してきた」
「それはきついですね」と言いながら、克貴は自分を振り返らずにはいられなかった。
新卒にしてはかなり高額な給与をもらっている。日々の仕事量を考えればもらって当たり前だと思い上がってしまっていたが、経営者目線になったときにはたして自分にそんなバリューがあるのか疑問に思った。
「だからクビにした。俺の目の前から消えろ、とな」
「ハードですね……山崎社長みたいに完璧にできる人を探すことは不可能なような気がしてきました」
「完璧なんかじゃないさ、決してな。そう見える人も、皆見えないところでもがいているんだよ。俺は絶対にビッグになってみせると誓ってな」
「ビッグになるというのは、やっぱり上場を見据えているんですか?」と克貴は聞いた。
「そもそもファンドの運用会社は上場なんてするメリットがない。一般的にも、俺は上場には懐疑的だ。馬鹿な連中は上場のプロコン(※2)も計算できずに、かっこいいだとか成功しているイメージでIPO(新規株式公開)をしたがる。なあ、上場は何のためにすると思う?」と山崎社長は克貴の方に向き直った。
「信用を得るためですかね?」
「資金調達をするためでしかない。信用なんてものを挙げるやつがいるが、あんなものはしょせん幻想だよ。幻想を積み上げる一手段でしかない。地べたをはいつくばるような根回しや、粘り強いハードな交渉の末に信用は形成される。IPOで得られると思っているやつは思考放棄でしかない」
(第八章 マグマのような冷血 前編につづく。2022/8/5更新予定です)
※1 ゼネラルパートナー 無限責任組合員。ファンドの運営に責任を負う組合員のこと。投資先を選定し、投資を実施。その対価として、管理報酬や成功報酬を受け取る
※2プロコン Pros&Consの略。メリットとデメリットの意。
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