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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に新卒で入社した、小川克貴。業務開始早々、ディレクターのモーガン土井に資料作成を命じられるが、間違いを厳しく指摘され、自信を無くしてしまう。そんな中、ロンドン研修が始まった。グローバルの仲間たちとアクティビティに取り組み、研修を満喫していた克貴に一つの出会いが。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第七章 銀の翼 前編
山崎社長がいれてくれたひきたてのコーヒーは、苦みが強く深い味わいだった。
「山崎社長はどういう経緯でファンドを経営するようになったんですか? 僕からすると想像もつきません」
「元々は君と近い立場だった。外資系投資銀行の社員だったんだ」
「どちらの会社で活躍されていたんですか?」と克貴はかすかな親近感とともに尋ねた。
「米系のシルバーマン・ウィングスさ。ハードな道だったが、30代前半でシルバーマンのMD(マネージングディレクター)にまで昇りつめた。株式トレーディングで圧倒的な成果を出したんだ。MDという一種の到達点にたどり着いてしまうと、少し退屈になってしまった」
「MDまで上がっても退屈だと思うんですか」と克貴は恐れおののいた。あの恐ろしいモーガン土井でさえ、MDの下にあたるディレクターなのだ。それよりもはるかに若い年齢でMDにまで上がった男だ。この山崎社長はどれだけの傑物なのだろうか。
「新しい理想のために現状を捨てたい瞬間が来るんだよ、いつかな。帝国證券の副社長のアレックスに頭を下げられ、チームごと移ったんだ。アレックスはシルバーマン勤務時代の上司で俺を採用してくれた人だ」
「すごいですね。山崎社長に決断させられるような上司のアレックスさんもすごい人なんですね。すごい」
あまりに違う世界の話を前にして、克貴は同じ言葉を連呼するしかできなくなってしまった。
「アレックスは自由にやらせてくれる理想的な上司だった。成果には鬼のように厳しかったが、リスクを取って挑戦した結果の失敗に対しては、笑ってハッパをかけてくれたよ。『ヤマザキサン、次は何億ドル飛ばしてくれるんだい?』とね」
「鋼のようなメンタルをもっていないとやっていけない世界ですね」と克貴は呆気にとられた。
「ここぞという時に、攻めなきゃいけないし、決めなきゃいけない、いや応なく。それがトレーダーだ。帝国證券に入ってからもアレックスチームの急先鋒として俺は成果を上げ続けた。万年赤字だった株式トレーディング部を立て直し、翌年には200億円の利益を上げ、ついには1,000億円までに達したのさ」
山崎社長は力強い口調で言った。その口調は彼が潜り抜けてきた戦いのすさまじさを思わせた。
「そんなV字カーブを描けるなんて信じられないですね。どんな変革だったんですか?」
「就任してすぐ、在籍していたトレーダーの挙動を分析したよ。結局彼らのほとんどには辞めてもらった。彼らはトレーダーに必要な資質を持っていなかったんだ」
「資質とはどんなものなのでしょう? 数学的なセンスでしょうか?」と恐る恐る克貴は聞いた。帝国證券にいたトレーダーたちもきっと優秀だったに違いないのに。
「数的能力はあって当然。スーパーのレジよりも計算が遅いような雑魚は論外だ」
「はい、そうですね」と克貴は相づちを打ったが、自分にはそんな計算スピードはないなと戦慄した。
「大事なことは大損した後に、リスクを取れるかだよ。帝国證券の社員は頭脳的には問題はなかったが、失敗した後の大きなチャンスをことごとく逃していたんだ。失敗することで評価が下がることを恐れる、サラリーマン的なトレーダーに成り下がっていたんだ」
「はあ」
克貴には意味は分かっても、実感としてピンとこなかった。
「トレーダーは会社に属していようと、独立したプロでなくてはならない。戦場で銃を構える腕利きのスナイパーなのさ。周囲に会社の仲間がいようが誰も助けてくれない世界なんだ」
克貴はこんな異次元のトップトレーダーが、その後ファンドの社長にどう転身したのか気になって仕方なかった。
「いつ独立したんですか? 山崎社長が抜けるとなると総出で引き止められそうですし。帝国證券でその後も順調にいっていたんですよね?」と克貴は期待を込めた目で尋ねた。
山崎社長は唇をかんで、カップを口に運んだ。
コーヒーをすする音がやけに大きく響いた。
「でも、俺とアレックスは失脚した」
「え」と克貴は思わず声を漏らしてしまった。
これほど能力が高くて実績もある人が、突然に失脚するなど想像もできなかった。
「失礼ですが、それはどうしてですか? 大損を出してしまったとかですか?」
「やっかみだよ」
「え」と克貴は顔をしかめてしまった。
「むしろその年も前年を上回る好成績だった。常務派閥が俺らをねたんで、偽の事件をでっち上げてつぶされてしまったんだ」
「え? 大手証券会社でそんな中学生のケンカみたいな、くだらないことが起こるんですか?」
「結局組織なんてそんなもんだよ。大企業だって同じさ。しょせん人の集まりだからな。俺ら副社長チームが常務の派閥に追い出されてしまったようにな」
「そんな。会社に不利益になるじゃないですか!」
克貴は思わず声を上げてしまった。
「あいつらは会社の利益なんて、本当の意味では考えていないんだよ。独裁者と同じさ。国や企業がどうなろうが平気で戦争を仕掛けるし、自分の面子や体裁が全てなんだ」
「そんな」
「現に会社で一番利益を上げていた、副社長のアレックスチームが解体されることになったんだからな。毎年赤字だった部を1,000億円の利益を上げ立て直したのにだ」
「そんな……」と克貴はほとんど声がかすれて出なくなった。
「常務と当局には密接な大人のつながりがあったようだしな。その点ではGR(ガバメントリレーションズ)(※)に無頓着だった俺も能力不足だった」
「それってほとんど談合じゃないですか」
克貴には到底信じられなかった。
「アレックスと俺が逮捕までされるおまけ付きさ。常務がその日に飲んだワインは最高だっただろうな。『若くて調子に乗った外資勢を正義の味方が成敗してやった』とでも悪びれずに思っていたんだろう。常務はお望み通り出世して、副社長に上がったよ」
「嘘ですよね? えっえっ。逮捕ってどういうことですか? すみません取り乱してしまって」
克貴には何が何だか分からなくなっていた。
「結局不起訴になったけどな。一時期騒がれていた帝国證券の相場操縦事件を知らないか?」と山崎社長は低い声で続けた。
「高校生のときに聞いたことがあります。まさかニュースに取り上げられていた人だったなんて。え、でも――」
「でもニュースで騒がれていた報道内容と違うと思ったか?」
「全く違います。うろ覚えですけど、たしかニュースでは、利益を出せなくなった副社長チームが会社での地位を死守するために、不正に株式操縦を行った、と言っていたような気がします」
「まるで俺らが大損したのを取り返そうと、やけくそになって不正を行ったかのような報道だっただろう。許せないのは、プロのトレーダーとして、そんなリスクとリターンが合わない行動をしたと思われることだ」
「山崎社長のトレーダーとしての合理性と倫理観からしたらありえないことですもんね」と克貴は話を合わせながらも、いまだに頭が追い付いていなかった。そもそも1,000億円の利益なんて信じられないし、そんなに結果を出すなら黒いこともしていたのかもしれない。
山崎社長は2杯目のコーヒーをついでいた。コーヒーの苦い香りが部屋に満ち、克貴はふと外に目をやった。
窓からは、どんよりと霧がかった中、2階の中庭が見えた。克貴はそれまで感じていなかった寒さを覚えた。景色は重くぼやけ、奥まで見通せなかった。
(第七章 銀の翼 後編につづく。2022/7/22更新予定です)
※ガバメントリレーションズ 企業が事業や組織の活動目的を達成するために、自社と政府・行政との関係を積極的に構築すること。
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