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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に入社した、小川克貴。華やかな入社式や新人研修を終え、とうとう仕事の現場に放り込まれた。慣れない仕事に苦労する克貴は、上司のモーガン土井から、明々後日の正午までに「カンプロ」を作るように言われるが、それが何かわからず、先輩の町田に助けを求めた。
「クロスボーダー」バックナンバーはこちら
注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第四章 真っ赤な洗礼 後編
そこから町田さんに媒体それぞれの使い方を教えてもらうことにした。同期の高嶺も、エレンも先輩の前では真面目な様子だった。
それから克貴は資料作成に取り掛かった。
会社のホームページを見ていると、情報が多すぎて混乱する。同時にいろんな情報を見ていると、得なければいけない情報に一直線に進めない。あれもこれもやらないといけないと思うと、なかなか進まない。
有価証券報告書を開いては、エクセルに打ち込む。文字が小さくて読みづらい。特にずらっと並んだ数値はゲシュタルト崩壊をしてくる。
会社のホームページから情報を集め切った。あとは足りないところをブルームバーグ端末で調べていくだけだ。
端末の使い方は細かく教えてもらったはずなのに、問題が起こった。混乱して手が止まった。先ほど調べたものと、数字やデータが違うのだ。
会社情報と端末情報どちらかが誤情報だということになってしまう。そんなことあるのだろうか、何が間違っているのだろうか。
困惑した克貴は、偶然通りかかったエレンに声を掛けた。
「エレン、これ分かる?」と克貴はデータの違いについて質問した。
「うーん、なんで違うんだろうね?どちらかが間違っているなんてことあるのかな?」とエレンも首を傾げた。
トイレから戻った高嶺が近づいている。
「高嶺、ちょっと来て。分からないから教えてー」とエレンが声を張った。
高嶺は「俺は忙しいんだ」と小さく口を動かした。
「ねえ、高嶺ってば」とエレンは周りを気にしないくらい大きな声でせがんだ。
「全く」と高嶺はため息交じりにつぶやき、端末の画面を覗き込んだ。
「これは……、ここを見てみろよ」
高嶺はデータ自体ではなく、出典ソースの欄を指した。
「そういうことか!」と克貴とエレンは声をそろえて言った。
「参照した日時がずれていたからデータに差があったのね」とエレンは大きく頷いた。
「As of を見ることだ。当然ながら、情報にも新旧があるからな。いつ時点のデータなのかを参照して、最新の情報をピックアップする必要がある。常識だろ」と高嶺は言った。
研修のときはややもすると嫌な奴だと感じていたが、同期としては頼もしいやつだと克貴は思った。
小気味よいテンポで複合印刷機が資料を吐き出す。カラーで印刷された資料は、設定でホチキスでとまるようになっている。この便利さも先進性を感じさせられる。克貴は印刷物を手に取ると、モーガン土井のデスクへと向かった。
「モーガンさん、カンプロを作成いたしました。今少しお時間よろしいでしょうか?」
「そこ置いといて」とモーガン土井は振り返りもせずに言い放った。
「はい。確認よろしくお願いいたします」と克貴は緊張しながら言った。
モーガン土井のデスクには大量の資料が散乱していた。どこに置こうか逡巡したのち、デスクの端っこに目立たないように載せた。
しばらくしてモーガン土井からメールで呼び出しがあった。
「お待たせいたしました」と克貴は少し息を切らしながら言った。何を言われるのか戦々恐々としていた。
「カンプロを見たが、なんだ? まず、プロとしての自覚がない。学生のような低レベルなものを出すな。お前は1年目の若手だという意識を捨てろ。プロのバンカーに1年目なんて言い訳にならない」
「はい、肝に銘じます」
モーガン土井はペンで修正されて真っ赤になった資料をめくりながらねちねちと言った。
「フォーマット通りでなくていいなら、バンカーに作らせる必要ないからな。いいか。内容以前の問題が多すぎる。改悪するな。タイトルを勝手に創作するな。ページ番号が消えている。違うフォントを使うな。フォントサイズがずれている。英数字が全て半角になっていない。指定のカラーコードだけを使え。並べたグラフの上下がずれている。軸の数値が歪になっている。単位が書かれていない。小数点以下がバラバラ。画像のサイズがそろっていない。出所が書いていない。データソースの時点が書かれていない。箇条書きの時は句点をつけるな。体言止めでそろえろ。文字をはみ出させるな。ロゴに文字をかぶせるな。数字にカンマがない。論外なのが、社名を間違えていること。社名の大文字と小文字が間違っている。株式会社をつける位置が前株なのに後株になっている。どうなってるんだ?」
「申し訳ありません。急いで修正いたします」と克貴は縮こまり弱々しく言った。
モーガン土井は克貴を睨んだ。
「おい、なぜメモをしていない?」
「すみません。持ってきていませんでした」克貴は胃がぎゅっと縮むのを感じた。
「誰かと話すときはメモ帳とペンを持ってくること。常識。これで言ったこと覚えていなかったらどう責任を取れる?」
「申し訳ありません」
「1年目だからって許されるわけではないから。訂正したら、パワポ資料とともにデータ参照用のエクセルもメールで送ること。その上で印刷したものを渡すこと。分かった?」
克貴は塩をかけられて消える寸前のナメクジみたいに小さくなり、そそくさと自分のデスクへ戻った。高校の時から使っている筆箱からペンを取り出し、指摘されたことを忘れまいと、ノートに一心不乱に書き付けた。
涙があふれそうになり、克貴は部屋から出て、トイレに向かうことにした。カードキーが必要な廊下の扉を抜けて、小便器に向かった。奥に立っていた人影が克貴の背後を通り過ぎた。
「さっき洗礼を受けたようだな」と町田さんがニヤニヤしながら話しかけてきた。
「情けない限りです」と克貴は落ち込んだ気持ちを漏らした。
鏡越しに町田さんが手を洗いながら話しかけてくる。町田さんは紙タオルで洗面台の水滴をさっと拭い取った。
「気にするな。誰しもが通る道だよ。ほら言った通り、カンマの間違いを指摘されただろ?」と町田さんはネクタイを直しながら得意げに言った。
「町田さんは何でもお見通しなんですね……」と克貴はうなだれた。
洗い場の渦が排水口に吸い込まれていく。町田さんと話していると、自分の未熟さを痛感するとともに、鬱屈(うっくつ)した気持ちがみるみる流されていくのを感じる。それが町田さんの底知れぬ魅力であったし、克貴が憧れるゆえんでもあった。
「仕事以外に揺れる想いを感じていることもな」
「えっ」と克貴は不意を突かれ、すっとんきょうな声を発した。
「お見通しだろ?」と町田さんはにやりとして片目をつむり、克貴の両肩を優しく叩いた。
「さすがです」と言いながら、克貴はまた頑張ろうと意欲が湧いてくるのを感じた。まずは指摘されたところを順番に修正していこう。そして分からないことがあれば恐れず聞いていこう。
「まあ、今度ぱあっと行こうぜ。イイとこ連れて行ってやるよ」と町田さんはさっそうと言い放ち、一足先にトイレから立ち去った。
(第五章 幻想のロンドン 前編につづく。2022/5/13更新予定です)
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