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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に入社した、小川克貴。華やかな入社式や新人研修を終え、とうとう仕事の現場に放り込まれた。慣れない仕事に忙殺される日々だったが、ある日先輩社員の町田に呼び出される。町田は“トゥーム・ストーン”を見せ、「自分の想いを乗せたストーンを作れるように」と激励する。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第三章 トゥームストーン 後編
克貴が乗せていきたい想いがどういうものなのかは、まだ漠然としている。だが働く理由ははっきりしていた。投資銀行に入ろうと決意したときから一貫しているものだ。
それは硬くなる前のかさぶたをつついた時のように、じゅくじゅくしていた。先日のコーヒー店での会話がよみがえる。
克貴と葵が久しぶりに会って話に花を咲かせているところに、エレンが口を挟んだ。
「ねえ、克貴と葵さんはさ、地元が同じだったの?」
「途中で引っ越しちゃったけど。かっちゃんの妹さんと習い事が一緒だったの」と葵は言った。
「妹を迎えに公民館へ行ったら、葵ちゃんがよく一緒に遊んでくれていて」と克貴は照れた様子を見せまいと振る舞った。
「ふーん、それにしては仲良すぎじゃない?」とエレンは無表情をあえて作って言った。
「いやあ」と助けを求めるように克貴は葵を見た。
「小さいときに1度お家に伺ったことがあって、はしゃぎすぎてスカートが破れてしまったの。そのときかっちゃんのお母さんに縫ってもらったんだよね。本当に優しいお母さんなのよ」と葵はノスタルジックな面持ちで言った。
「そんなこともあったね」と克貴は葵と目を合わせた。
「それとね、似合うからといってくれてかっちゃんのお母さんの髪飾りをもらったの」と葵は大事なものを抱きかかえているかのような笑顔でにっこりほほえんだ。
「そんなことあったんだ」
「そうね、ちゃんと会ったのはそれ以来だったもんね。髪飾りね、小学生の私には大人っぽくて、ずっと気に入って使っているの。ほらこれよ」と葵は首をくいっと曲げて見せた。
克貴はおぼろげながら、その髪飾りを覚えていた。
「ふーん、それだけとは思えないけど」とエレンはふに落ちない様子で言った。
「そういえばお母さんは元気にしている?」と葵は言った。
「それが2年前に、亡くなってしまって」と克貴はうつむき加減に言った。悲しみを思い出すことよりも、聞いた誰かに気まずい思いをさせてしまうことが申し訳なかった。
「……ごめんなさい、何も知らなくて」と葵は沈痛な面持ちになった。
「ううん、気遣ってくれてありがとう」と克貴は優しく言った。
「大変だったんだね。妹さんは? 最近連絡取ってなくて」
「元気だよ。美術系の大学に通っているよ」
「良かった。お父さんは?」と葵は悪気なく言った。
「その話はしたくない」と克貴はいきなり声を荒らげてしまった。
エレンは驚いた顔をして克貴を見た。克貴はそれに気づいていたが、何も言えなかった。沈黙が漂う。
「……なんか、ごめん」と葵は水分の失われた花弁のようにうなだれた。
克貴の母は2年前に亡くなっていた。
母が亡くなる直前、父は世界を飛び回るバンカーなのだと聞いた。病床の母はいつになく冗舌だった。
今まで母は克貴に父の仕事について話さなかった。父のことになると怒りを抑えきれない克貴をおもんぱかってなのかもしれなかった。それに実際のところ、詳しいことは本当に知らなかったのかもしれない。
母に苦労をさせた父に対して克貴は憤りを覚えていたし、母を愚弄(ぐろう)しながらもいまだに魅了しているその存在が憎らしかった。
母が話すことは、父がかっこよかったこと、常に案件の対応をしていて、すごく仕事に対して熱を持っていたことだけだった。
何もかも腐っていきそうな蒸し暑さだった。母の葬式を行ったのは大学三年生の夏の日だった。
当然、サマー・インターンには参加できなかった。
母が亡くなったときさえ、父は姿を現さなかった。父に会って殴ってやりたい。最期まで父をかばうような母の態度が気に食わなかった。克貴が父の存在を否定したときも母は、あの人はすごい人だからいいのと、自らの不遇を脇に置いて父を擁護していた。
克貴は父を憎悪していた。
家庭を放り出しただけでなく、母の気持ちを最期まで捉えて離さなかった父の存在に。
苦しい思いをする母と妹を見ることは、克貴も苦しめた。仕事というただそれだけの理由で。
だが同時に、矛盾した気持ちが同居していた。
家族を捨ててまで仕事を選ぶ人生というのは、克貴にはわからない世界があるのではないか。そこまで、熱狂する仕事というのは、克貴には想像もできない面白いものなのではないか。
その源が知りたいという思いで投資銀行に入ったのだ。
そうすれば父に会えるのではないか。投資銀行で働いているらしい父に会って、積年の怒りをぶつけたい。そして投資銀行の仕事が家族よりも価値のあるものなのかを問いただしたい。
記憶の少ない父に対する憧れめいた感情がちらついていた。その感情は沸騰した泡の粒のように次々と発生し、大きな塊になろうとしていた。
克貴はその感情が湧き上がるたびに、必死に打ち消した。
自分でも気が付かないうちに父の話題に過敏になっていたことを恥じ入った。
(第四章 真っ赤な洗礼 前編につづく。2022/4/15更新予定です)
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