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〈前回までのあらすじ〉
外資系投資銀行のドイチェガン証券株式会社IBD部門に入社した、小川克貴。入社式を終えると、研修が始まった。研修中に同期の高嶺とエレンが言い合いになり、克貴は仲裁に入る。部屋を出て行ってしまったエレンを克貴が慰めるうち、二人の距離は少し縮まる。
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注:この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
第二章 複雑な味 後編
研修では部門間の隔てなく新入社員が一堂に会し、トレーニングを受ける。グローバル・マーケッツ、アセット・マネジメント、ITの各部門の同期も一緒にいた。
初日のお互いを探るような雰囲気は弱まり、同期皆でしゃべる場面も増えてきた。
「先輩に聞いたんやけど、最終日のテストに落ちたらクビになるらしいで」とマーケッツの豪(ごう)が言った。
「本当か?」と高嶺はいぶかしげに言った。
「5年前に1人おったとかおらへんとか」と豪は笑いながら言った。
「落ちてしまったらどうしよう。みんなで協力して対策しようよ」とアセットマネジメントの至(いたる)は焦った口調でそう言った。
「データはあるのかい? 勉強に身を入れさせるための脅しである確率95パーセントだなア」とITのアルヤンは言った。
「テストとかまじで無理なんだけど」とエレンは叫んだ。
「みんななら大丈夫だよ。まだ時間はあるし頑張ろう」と克貴は言った。
「克貴、ヘルプミー」とエレンは克貴にしだれかかるようなそぶりを見せた。克貴は顔を後ろに大げさに引きながらも、耳が熱くなるのを止められなかった。
高嶺はすました顔で配られた研修資料を読み込んでいる。
「過去のデータがあれば分析できるのになア」とアルヤンは独り言のように言った。
「ちょっと外、行ってくるわ」と豪は、携帯電話をつかんで慌ただしく立ち上がった。
講義が再開する時間ぎりぎりに豪は駆け込んできた。体育会系で、いつも5分前行動をする豪にしては珍しいことだった。続いて、講師が話し始める寸前にエレンは滑り込んだ。
「小川克貴と申します。よろしくお願いいたします」と克貴は恭しく名刺を差し出した。少し声が上ずってしまった。
「頂戴いたします」と高嶺は冷静な声で受け取った。
「ドイチェガン証券株式会社の高嶺貴一と申します。よろしくお願いいたします」と高嶺はスマートに何でもこなす。
名刺交換の練習、電話の対応の仕方、英語でのビジネスメールの書き方など各種ビジネスマナーを学んだ。
最後の3日間にファイナンスの講義を詰め込まれ、ついにテストを迎えた。
テストの結果が出てからは、みんな安堵した様子だった。1週間どこか緊迫していた空気はなくなった。高嶺でさえ、少し緊張が解けたのか、弛緩した表情を見せていた。
「豪、先輩の過去問、助かったよ」と至は言った。至はできる感じを出さないが、しれっと平均点を超えてきていた。
「俺のおかげやろ。講義の合間に先輩たちに片っ端から電話して過去問かき集めたからな。俺もほぼノー勉で合格点ギリ上をゲットしたわ。勉強した時間の少なさで言うと俺が一番かもな」と豪は得意気だった。
「高嶺だけが満点。負けたなア」とアルヤン。アルヤンは2位の成績を取っていた。
「たかが研修のテストだろ? 来週からの実務でこそ実力を発揮していくつもりだ」と高嶺は冷ややかに言った。
克貴は、大量の資料をめくりながら、いよいよだと高揚した気持ちだった。わずか1週間の研修を終え、次の月曜日からすぐに仕事現場に放り込まれる。
月曜日の朝は早くに目が覚めてしまった。
ネクタイをきつく結び、家を出ると朝日が克貴の顔をさわやかに照らした。朝の空気は澄んでいて、ビジネススーツ姿があふれるこの街に挑んでいるような気分になる。革靴を履いた時の小指の痛みもなくなり、少しずつ通勤に慣れてきたのかと実感する。
会社はビルの48階から50階の3階分のフロアを占拠している。
始業時間である午前8時半の1時間前にオフィスに着いた。すでに何人かは働いており、新聞を読んでいるディレクターをはじめ、せわしなくパソコンをたたいているアソシエイトやアナリストがいた。
新卒一年目の同期はまだ誰も来ていないようだった。あらかじめ割り当てられていた席を座席表をもとに探した。克貴の席は、高嶺の隣だった。
椅子の背には背広を掛けられるハンガーが一体となってついており、両腕を広げても両端に届かないくらい机は広かった。大きめのデスクトップパソコンとディスプレーの2画面が並んでいる。一人一人に固定電話が備え付けられていた。
克貴が自分のデスクを確かめていると、高嶺の真後ろの席にエレンがやってきた。
「おはよう」とエレンは明るい声で言った。克貴はオフィスでどれくらいの声を出せばよいのか困惑しながらあいさつを返した。寝起きのようなかすれた声になってしまった。
「ねえ、オフィスにコーヒーショップ入ってるの知ってる?」とエレンは周りを気にしていないような大きな声で言った。
「そうなんだ。どこにあるの?」と克貴はまだ声を落として言った。
「50階よ。ねえ、まだ就業前だし、今から一緒に行かない? 克貴のおかげで研修の合格点取れたようなものだから。コーヒーを一杯おごるわ」
「それは行くしかないね」と克貴は張りのある返事をした。
「善は急げ、ね」とエレンはウィンクした。
エレベーターで上がり、50階のメインホールを通り過ぎると、一般管理本部がある。広くバックオフィスと呼ばれる部署群で、人事部、総務部、リーガル部、ファイナンス部、広報部などが集まっている。
それぞれの部は部屋が区切られており、雰囲気もがらっと変わる。その区画を通り過ぎたところにコーヒーショップがあった。
「ここのコーヒーショップすっかり気に入っちゃってね。しかも店員さんもキュートで仲良くなっちゃった」とエレンは弾んだ声で言った。
「へえ、研修の間も結構行ってたんだ」
「そうなのよ。すっかり意気投合しちゃって、この前なんて時計を見たらもう休憩時間終わりそうで。すっごく話し込んじゃった」
「あの時か。気を休ませられる居場所が見つかって良かったね」と克貴はほほ笑んだ。
「そうなのよ。それに彼女はほんと常識人なのに、突拍子もないことを言いがちな私に話を合わせてくれるのよ。まるで克貴みたいに」とエレンは克貴を見据えて言った。
「僕は別にエレンに話を合わせているつもりはないよ」と克貴はかぶりを振った。
「そういう意味じゃなくて、何となく克貴と似ているのよね」とエレンは覗き込むように言った。
「まあ僕はここに来ている人たちみたいに尖っていなければ、特殊な才能もあるわけではない、ありふれた人間だからね」と克貴はあきらめたように言った。
「それはあなた自身にも、彼女にも失礼な言い方よ」
「ごめん、ただどうしても自分の内奥に潜って考えてしまうどうしようもないところは、似てはいないとは思うよ」
「それが克貴を魅力的にさせているのに」とエレンは克貴に聞こえないくらいの声量でつぶやいた。
扉を開けて克貴は、息を吸い込み、目をつむった。香り高い匂いに、つい頬が緩んでしまいそうになる。
席に座った二人のところに店員が注文を取りに来た。
克貴がメニューの注文を迷っている間、エレンが店員と仲良さそうに話している。
「こちら、さっき話してたコーヒーショップの店員さん。私たちと同い年なのよ」とエレンはうれしそうに克貴に紹介してきた。
店員は控えめな笑顔でこんにちはと頭を下げた。
思わず、克貴は眉を寄せた。
「あの、もしかして……かっちゃん?」と店員は克貴の名を呼んだ。
「あれ、葵ちゃん?」と克貴は、なつかしさを覚えながら、見つめた。
「え、え、どういうこと? 二人は知り合いなの?」とエレンは一瞬曇った表情をしたものの、いつもの好奇心そのままに言った。
「大学時代に、ちょっとね」と克貴は少し気まずそうに言った。
「ちょっと、だけなの?」と葵はいたずらっぽく克貴を覗き込んだ。
「そういうわけじゃないけど」と克貴はたじろぎつつ言った。
「子どものころからね」と葵は訂正した。
「なんなの、2人だけで楽しんでいる感じ」とエレンはすねたようにコーヒーに角砂糖を投げ込んでいた。
(第三章 トゥームストーン 前編につづく。2022/3/18更新予定です)
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