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「わくわく」に正直に歩んできた、元作曲家のラクスルCTOの多岐にわたるキャリア

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ラクスル株式会社 CTO(最高技術責任者)の泉雄介氏は、元作曲家のITエンジニアだ。その経歴もユニークで、アメリカの音楽大学を卒業後、マルチメディア企業で音楽を作る傍ら、独学でシステム開発を学んでIT企業を起業。その後、モルガン・スタンレー証券で債券のシステム開発、ディー・エヌ・エー(DeNA)で遺伝子検査サービス事業などを手掛けてきた。

ラクスルでは、新型コロナウイルス感染症が拡大する中、2020年6月にベトナム、同年10月にはインドで開発拠点を立ち上げた――。身軽にキャリアを変え、多様な業界でスケールの大きな仕事に関わってきた泉氏。自身のキャリアを切り開いてきた原動力は何か。【松本香織、斎藤公也】

〈Profile〉
泉雄介(いずみ・ゆうすけ)
ラクスル株式会社 取締役CTO。
1979年生まれ。10歳でアメリカに渡り、ニューイングランド音楽院作曲科卒業後、制作プロダクションに作曲家として就職。その後システム開発会社の起業などを経て、2005年モルガン・スタンレー証券(現モルガン・スタンレーMUFG証券)に入社し、主に債券関連商品の取引システム開発に従事。2012年DeNAに入社し、ゲームプラットフォーム事業を経て、遺伝子検査サービスの立ち上げに携わり、システム開発の技術リードを務める。 2015年10月、ラクスル入社。2017年10月から現職。

「受託開発業務の限界は見えた」。モルガン・スタンレーに転職

――社会人生活は「作曲家」という仕事からスタートしていますよね。そこからシステム開発を独学で学んだということですか。

:はい。最初はマルチメディアの会社で音楽を作る仕事をしていました。そこから映像に興味を持ち始め、ウェブアニメーションを制作するようになっていきました。

ある時、プログラミングで映像の中身が動的に変えられると知り、やり始めたら面白くて、クライアントワークに活用するようになりました。

プログラミングは小学5年生の時から趣味でBASICをやっていて、高校の頃はコンピューターと音楽のどちらの道に進むかを考えました。その時、周りがコンピューターを専攻しようとしていたため、自分は違う道に行こうと考えました。しかし、音楽制作の延長線上でシステム開発に行きつき、どうやら自分はこれが好きらしいと気付いて、ずっとやってきています。

動的にコンテンツを制御する目的で、PHPを経験しました。JavaScript、Javaなども学びました。

――その後、IT企業をつくって社長になりますよね。開発ができるようになっていたとはいえ、エンジニア職が未経験で起業するのは、ずいぶん思い切った決断に思えます。

:IT企業の社長に憧れていたのは大きいです。私が創業したのは2000年代前半。ライブドアを創業した堀江貴文さんが注目されていた頃で、IT業界は華やかに見えました。特に憧れていたのは「アプレッソ」という会社の社長だった小野和俊さんです。とても優秀な24歳が会社のトップ、部下はみんな年上。IT業界以外ではあり得ないじゃないですか。常識を覆され、衝撃を受けて、自分もシステム開発会社をつくって社長になりました。

――起業した後、いくつかの企業に在籍しています。その企業で働く決め手は何でしょうか。

:「わくわくするかどうか」でしょうか。働いていて「先が見えてくる」と、興奮し、心躍らせる業務への欲望が強くなってきます。

――「わくわくする」という感情を生み出す要因は何でしょうか。

:何にでも興味を持ってのめり込むことです。特定の分野と接点ができたら、詳しくなりたいと考えます。遺伝子検査サービスのプロジェクトでも、医療関係の本を読みまくり、本格的に勉強したくなってきて妻に相談したら、のめり込みすぎないようにと文句を言われてしまったくらいです。ラクスルが関わっている印刷・物流・広告という三つの業界も、それぞれ深くて面白いと感じます。モルガン・スタンレーの債券システム、自らの起業などと、さまざまな未知の世界を経験し、奥深さを味わうことで知識や経験を蓄積できました。自分の知らない世界はリスペクトしていますね。

――モルガン・スタンレーに転職していますが、その理由を教えてください。

:独りで受託開発の仕事をしていても、先が見えていました。システム開発を請け負って納品する仕事は、基本的に自転車操業です。ずっと続けていくイメージが持てませんでした。同時に、自分の力不足を感じてもいました。事業を営んでいるにもかかわらず、お金のことがよく理解できていなくて、社会人としても中途半端だったからです。

そんな時、モルガン・スタンレーの知り合いから連絡がありました。外資の投資銀行で開発するなんて、これまでのキャリアとはまったく違う。それが面白いと思って、オファーを受けました。モルガン・スタンレーという組織に入り、その一員として働いた経験は、非常に良い経験になりましたね。担当したのは債券のシステム開発ですが、金融機関に入ったのだからと、お金の勉強もしました。

金融では、最先端の技術が要求される。だから面白い

――金融業界のシステム開発というと、大きなお金がかかっているイメージがあります。

:まさにそのとおりです。私が在籍していた頃、IT部門で30年ほど働いている年配の方に「なぜ長く続けているのですか」と聞くと、こんな答えが返ってきました。「金融だけがシステムに莫大なお金を投資します。最先端の技術が要求されるし、一番難しいことをやっている。だから面白いのです」と。

株式のシステムなんて、本当にすごかったです。1ナノセコンド(1秒の10億分の1)の計算速度を争う世界ですから。東京証券取引所のサーバーにつなぐリレー線が30センチメートル延びると、1ナノセコンドをロスする。だからすぐ近くにビルを借りている、というくらいに極まっている世界です。

債券、インフラ、マーケットデータ、株式……開発のレイヤーは多岐にわたり、得られる経験も当然ながら異なります。しかし「他の業界とは比較にならないほどお金をかけていて、技術が最先端だ」という点は、どのレイヤーにも共通していると思います。

入社当初は、システムのセキュリティーに関する業務を担当していましたが、「ビジネスに直結する業務に携わりたい」という思いが強くなりました。異動を希望した結果、債券のシステムの担当になりました。実際に携わっていたのは、サブプライムローンの債券のシステムでした。

――そのような現場でエンジニアとして磨かれた実感はありましたか。

:周りには非常に優秀な人たちがたくさんいたので、毎日勉強になりましたね。当時は全社で5万人、IT部門で1万人ほどいました。データベースや現存する中で最も古いOSの一つであるUNIXなど、どの領域にもエキスパートがいました。しかも15年、20年と働いているシニアに教えてもらえます。スタートアップでは、なかなかこうはいきません。

――その後のキャリアとして、DeNAに入社を決めた理由は何でしょうか。

:モルガン・スタンレーで担当していた金融のシステム開発は大好きで、ずっと続けてもいいと思っていました。しかし、2007年のサブプライムローン問題を機に、コストカットのためのプロジェクトが増え、新しい金融商品をシステムで作る花形の仕事はできなくなってきました。

その時、DeNAに在籍していた知り合いが、社長の守安功さんとランチの機会をセットしてくれました。当時DeNAはテック企業としてかなりの勢いがありました。守安さんに会ったとき、思い切って自分の希望をぶつけました。「10億円規模のプロジェクトを任せてほしい」と。かなり生意気なことを言ったと思ったら、守安さんは意外にも快くDeNAに誘ってくれて、実際に数年後、それに相当する規模の遺伝子検査サービスにも携わりました。ある意味、夢は実現しましたね。

インドで開発拠点を立ち上げ、ソフトウエアエンジニアリングのノウハウを学ぶ

――ラクスルにおける具体的な役割を教えてください。

:私の役割は、主に二つです。一つは組織開発です。事業成長に合わせて組織の増強を担保するのが大きな責務です。もう一つは、その時々の技術的なヘルプです。アプリケーションの開発に入ったり、事業内で何か新しい試みをするときに入ったりします。テーマは随時変わりますが、自分一人でやるというよりも、他のメンバーも巻き込んで技術的な下地を作り、チームが整ったら、また違うことをします。今はインドの開発拠点を整える仕事に集中しています。

――2020年、コロナの最中にラクスルの開発拠点をベトナムやインドで立ち上げましたよね。

:ベトナムの開発拠点を現地法人化したのは昨年ですが、開発自体はコロナ前の2017年から組織づくりに取り掛かっていたので、まだF2Fの環境で成長してきました。しかしインドの方は、本当にコロナの渦中で始まり、いまだにメンバーが誰一人リアルに会ったことがない状態で立ち上げてきました。

現在、インドのメンバーと新規事業の開発を行っていますが、彼らはハングリー精神が旺盛ですね。アイデアを交換していると、実際に動くものをサクッと作ってくれます。このプロジェクトでは、いろいろな背景の人たちと一緒に働くことができて楽しいですね。

いろいろな価値観に触れていると楽しいですよね。私は10歳から大学卒業まではアメリカで生活していたので、みんな同じ人種という方が違和感があります。

ソフトウエアエンジニアリングの領域では、日本はイノベーターというわけではありません。日本よりもノウハウが蓄積されているインドでは、KPI設定、数値化分析などの手法も優れています。インドに進出したことで、これらを学べると考えています。ここから得た知識やノウハウを使って、事業を確立する必要があると考えています。

グローバルで活躍したいなら、小さく収まるな

――泉さんは人の縁にも恵まれ、順調にキャリアを築いている印象を受けます。これまで挫折を感じたことはありますか。

:「挫折」かどうかは分からないけれど、いわゆる「失敗」はたくさんありますよ。モルガン・スタンレーにいたときは、サブプライムローンど真ん中のハイリスクな事業に関わっていました。うまくいけば大きなチャンスになりましたが、作ったものは結局、市場の消滅とともに消え去ってしまいました。DeNAで携わった遺伝子検査サービスの立ち上げも、事業として想定通りには行きませんでした。もちろん学びにはなりましたが、本当に会社に十分な価値をもたらせたわけではないと思います。

――かつて海外で生活していたことがあり、現在はインドでの開発拠点に関わっています。泉さんのようにグローバルに活躍したいと考えている人も目立ちます。

:私は日本が大好きだし、日本人として生まれたからには、日本を良くするために力を注ぎたいです。しかし、日本が世界の一部である以上、グローバルなマインドセットはどうしても必要になってきます。

おそらく「グローバルに活躍したい」と思って外資系を狙う人たちは、チャレンジ精神旺盛だと思います。英語へのアレルギーがある日本人も少なくない中、英語を使う仕事を選ぶこと自体がチャレンジです。だとしたら小さく収まらず、会社のトップになるくらいまで思い切り頑張った方がいいと思います。

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