
NRIインドという「海外ベンチャー」で培った圧倒的なスキルと経験。“海外志向の強い若手コンサル”で終わらないために
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2020/06/26
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“戦略コンサルでグローバルにチャレンジ”といっても、現実的には“日本国内で国際電話にかじりつき、たまに海外出張する程度”というのが「若手コンサルタントあるある」ではないだろうか。
ところが、日本発のグローバルファームとして躍進を続けるNRI(野村総合研究所)では少し事情が違っているようだ。入社4年目にして、当時創設4年目だった同社インド拠点に駐在し、過酷な環境でスキルもマインドも鍛え抜かれたコンサルタントに、赴任時のエピソードと、そこで得た“気づき”や“チカラ”について聞いた。
国内で海外戦略を考える“違和感”。チャンスをものにしたいという強い思いが「無謀なチャレンジ」を生んだ
――学生時代、なぜコンサルティング業界を志望したのですか。
松原:コンサル業界には偶然行きついたというのが正直なところです。
学生時代は新興国、特にアジアや南米の所得不平等や障がい者教育に対して関心が強く、開発経済学を専攻していました。目指していたのは一時的な支援やボランティアではなく、サスティナブルに社会経済に資すること。実際にベトナムのNGOでマイクロファイナンスを研究したり、JICAのブラジル事務所でインターンを経験したりして、将来的には国際機関で働くことを志していました。
そのためには、当然ながら英語力やファイナンスを中心とするハード面での専門性が必要になります。それらを身につける足掛かりとして、当初は外資系投資銀行を志望しました。
――ところが志望先が変わったのですね。
松原:はい。大学3年時に実施したブラジルでのインターンで“日本人としてのアイデンティティー”を否応なく意識することになり、志向が変わりました。ブラジルでは、日本企業や日本製品のプレゼンスが低く、さらに、現地で活躍している日本人も他のアジア諸国に比べ少ないという事実に直面しました。そこに一石を投じたいという気持ちが、国際開発の仕事に関わることと同じくらい強くなったのです。
また、国際開発の世界で求められる“社会課題を解決する力”を鍛えるには、“企業が直面する答えのない課題群に対し、知見やリソースを総動員し自分なりに解を提言する”というコンサルの仕事が適しているのではないか、と考えるようになりました。ファイナンスなど特定領域における高い専門性だけでなく、“総合的な経営知見”を身につけたくなったのです。
ちょうどその頃、NRIのインターンシップがあることを知りました。
そのインターンで出会ったコンサルタントがみな優秀で、フラットかつオープンに議論ができる社風を体感し、その時点で志望を決めていました。また、NRIは日本発のコンサルファームゆえ、日本企業の課題に親身に寄り添うことができ、日本の経営知見を海外に自ら発信できる土壌もある会社だと感じたことも大きかったです。
――入社後はどのような案件に携わったのでしょうか。
松原:一貫して、自動車や部品メーカーを中心とした製造業のコンサル案件を担当しました。入社後3年間は東京をベースに、クライアントの海外事業戦略立案や組織改革に関わる案件に携わりました。
周囲の先輩たちが私に大きな裁量を与えてくれる環境で、早くからプロジェクトリーダーを任せてもらったり、さらには自ら企画書を書いて新しい仕事を取ってきたり、という経験もしました。
――とても充実していたようですね。
松原:その一方で、クライアントの海外戦略案件を担当しているときに“もどかしさ”も感じていました。日本に住みながら、海外で戦う日本企業の苦悩にどう寄り添い、どのようにして現場を動かすような示唆や提言ができるか考えた際に、やはり違和感を覚えたのです。
出張や各種調査で現地の情報は得られますし、ロジカルシンキングで解決できることもありますが、海外の現場感や肌感覚なしにクライアント企業のグローバル化を声高に叫んでも、机上の空論になりがちです。
そんなとき、当時の上司やインド法人の社長が「インド拠点赴任のチャンスがある」と声をかけてくれました。“海外駐在をしたい”という希望は入社当初から口にし続けていましたが、最初にインドといわれたときには、正直「インドに住むのは過酷なんじゃないか…」と思いました。
しかし冷静に考えてみると、英語が通じ、13億もの人口を抱え、親日的でもある。そのうえ今後製造業のハブにもなり得る可能性がある国は、世界を見渡してもおそらくインドしかありません。
アメリカや欧州、中国、ASEAN諸国などで価値を出すことに比べて、当時の自分の力でチャレンジできる土壌があると感じました。しかもインドの人材は非常に優秀だと聞いていたので、彼らからの刺激で一層成長できるのではと思い直したのです。
――思い切った決断でしたね。
松原:今思うと、まったくの無謀なチャレンジだったと思います。3年程度のコンサル経験では、コンサルティングのコの字もわかるかどうかというくらい。それが突然、“仕事をもらう立場”から、“自分で仕事を取ってチームメンバーたちを食べさせる立場”になったわけですからね。しかも当時は英語をネーティブのように使いこなせるわけでもありませんでした。
でも、“このチャンスをものにしたい”という強い思いがありました。
――インドへの赴任にあたり、現地法人とはどういうコミュニケーションがあったのですか。
松原:NRIインドの社長は、私の赴任について“単なる若手の育成”や“お客さま扱い”というスタンスを一切取りませんでした。私を一人前の経営コンサルタントとして扱い、インドの自動車チームのリーダーとなることを求めました。
赴任前には「駐在員のコストはとても大きい。駐在員コストを賄うのに加え、部下たちを何人か食べさせるくらいの仕事を、まずは東京から持ってきなさい」と言われました。当時入社4年目ですからね。それ自体がかなりストレッチしたオーダーでした。
NRIってそれくらい厳しい会社なのです。でもただ厳しいだけではない。自分で「やりたい」と言ったことに対して挑戦するチャンスを与え、言ったことに責任を持って取り組ませる(=任せる)度量があり、上司や先輩、同僚が惜しみなくサポートしてくれる。愛がある会社だと思います。
4年半の間に人格も人生もすべてが変わった。海外に“第2の故郷”を持って知った「真のグローバル」
――率直な感想として、インド駐在はいかがでしたか。
松原:一言でいうと、成長著しい「海外ベンチャー」を徹底的に楽しみ抜いた感覚です。文字通り仕事に死力を尽くし、昼夜を問わずがむしゃらに働いていましたが、それは決して“やらされていた”のではなく、すべて自分から進んでやっていた。それだけやりがいのある仕事でしたね。
――具体的にはどういうことをやったのでしょうか。
松原:成果を上げるため、大きく3つのことを実行しました。
1つ目は、とにかく現地での活動量を上げて顧客開拓と案件組成に励むこと。赴任当初は顧客基盤のホワイトスペースが多かったので、自動車や部品メーカーなど、付き合いがなかった会社も含め徹底的に訪問・議論し、案件化に集中しました。インド×自動車業界でNRIの知名度を高めることに必死だったので、執筆活動や新聞への連載など、対外発表も多く実施しました。
2つ目は、案件組成にあたり、他海外拠点や東京本社のコンサルタントの力を最大限に借りること。各地のコンサルタントと連携し、幅広にインド関連案件のニーズを掘り起こして、インド人コンサルタントと一体で、新しい案件を作っていきました。また“優秀なインド人をインド国外で活躍させる機会づくり”にも力をいれました。
3つ目は、インド人との信頼関係を築き、強いチームを作り上げることです。私より年上のインド人の部下からは“信頼”を、年下のインド人からは“尊敬”を得て、クライアントが求める質の高いサービスを提供できるチームを作ることが、何より大事でした。
彼らの力なくしてインド関連のコンサル案件を回すことはできませんので、「採用活動の実施、研修コンテンツの作成と実施、プロジェクトを通したOJT、普段のちょっとした交流…」などを自ら手掛け、なるべくチームメンバーとの時間を大事にしていました。私自身、彼らのインドに対する理解から多くを吸収させてもらいました。
一方、優秀なインド人とはいえ、日本企業に対して質の高いコンサルティングをするという点では素人同然の人ばかり。とはいえ、私から一方的に指示や注意をするだけでは信頼を得られないので、いかに彼らのプライドとモチベーションを保ちつつ、レベルを引き上げていくかが重要でした。
最初は自分で多くの仕事を巻き取っていましたが、それではビジネスがスケールしない。任せるところは割り切ってインド人に任せて、自分は顧客開拓やマネジメントに徹するという、そのさじ加減に苦労しました。その過程でクライアントに怒られたこともありましたが、20代後半にして心の底からクライアントに謝るという経験もでき、結果として更なる信頼をクライアントから得られたことは、自信になりました。
――経営者のような仕事ぶりですね。
松原:まさに、東京で日本の経営者の皆さんに対して提案してきた戦略コンサルタントとしての知見を、インドで自分のチームづくりに振り向けたという感覚です。海外での“コンサル経験”に“経営経験”をも重ねることができたので、自分にとって大きな強みになったと感じています。
組織は論理だけでは回りません。きれいなストーリーだけではなく、モチベーションや人材の育て方、組織内の信頼関係こそが大事だということを理解しました。
特にインドの場合、人種や宗教、出身地、言語なども含めて非常に多様性がある国です。組織を運営する上で、日本のように「何となく指示をすれば皆ついてくる」ということはなく、各人の気質に合った指導や、社員のリテンションに大変な努力が必要です。これらを身をもって理解することで、クライアントに対してより実践的な、現場感のあるコンサルティングができるようになりました。
――約4年半のインド駐在によって、どのような成果を残せたのでしょうか。
松原:NRIインドは、私の赴任した4年超で、売り上げは約4倍、人員数は29人から150人に拡大し、NRIコンサルティング部門の中で最大の海外拠点になりました。創設以来ずっと利益を出し続けています。それに比例し、私が責任を持っていた自動車チームも一気に拡大し、NRIインド最大のチームとして拠点の収支を支えています。
また私個人としては、若いうちに、私をリピートしてくださる複数の“マイ・クライアント”と出会えたことが、コンサルタントとしての大きな成果でした。
駐在員はしょせん、いつかはインドを離れる立場ですから、自分がやったことや知見をどこまで現地に残せるかが重要です。その意味で、私が去った後のNRIインドの自動車チームは非常に強く、強固な顧客基盤から信頼を勝ち取り続けています。また、彼ら独自のソリューションをインド発で東京本社に提案してくることもできるようになっていますし、グループの中での存在感がとても大きくなりました。
優秀なインド人マネージャーも育ってきているので、その育成に私が関われたということは光栄に思います。もちろん私も、彼らの支えなしには結果を残せていなかったので、インドのチームメートにはとても感謝しています。
――インドに行く前と比べて、ご自身の変化は実感しますか。
松原:この4年半ほどで、キャリアや仕事のやり方、プライベートを含め、人生や人格すべてが変わったと思います。コンサルタントとして、そして組織をマネージする立場として視座が高まったのはもちろん、世界を見渡す力も鍛えられました。日本から見た世界と、第2の故郷・インドから見た世界という、両方の視点を獲得でき、より広い視野を持てるようになったのは大きな成長だと思います。
実際に多様性の中に身を置いて、そこで苦労したことで、真のグローバルの意味を実感できた気がします。グローバルというのは、あくまで手段です。もっと踏み込んで、例えば「日本企業の新興国でのプレゼンスを高めるため、クライアントの現地経営層とローカル人材のギャップを取り持ち、クライアントの海外戦略の策定・実行にコミットする」まで問題意識がいって、初めてグローバルという言葉が生きてくると思います。
形だけのグローバルなら、海外出張や国際電話に明け暮れていればいい。インドでの駐在経験がなかったら、私もきっと“海外志向の強い若手コンサルタントのひとり”にすぎなかったでしょうね。
外資よりも厳しい「フラットでオープン」なカルチャー。成果を上げるために努力できる人材求む
――インドで一種の“達成感”を味わったのでしょうか。
松原:達成感とは少し違いますね。常に何か新しい面白いことにチャレンジしていないと落ち着かないのです。弊社の人間には同じような人が多い。自己成長に貪欲というか、過去を振り返る暇がないのですね。
ただ、インドで学んだことを体系化し、もう少し自分なりにステップアップしていく契機を作ろうと、社内制度を活用してMBA(経営学修士)取得の道を選択しました。インドでやった自分なりのグローバルを、他地域でも通用するように見直したいと思っています。
――改めて、NRIの魅力とはどのようなところでしょう。
松原:チャレンジしたいという若手に対して裁量を与える、ということに尽きると思います。
それを支える背景は、NRIのフラットでオープンな組織風土です。これは外資系企業で言うところのフラットさとは少し違い、最初から当たり前のように用意されているわけではないのです。成果を出し続け、説得力ある提案を社内外にしつづけていくことで、身の丈を超えたチャンスが降ってくる。ある意味、外資より厳しいかもしれません。
コンサル業界は今、全体として採用人数が増えてきているので、外資も含めて人材の質が落ちているといわれています。しかしNRIは人材の質にこだわっている会社です。
本気で日本や日本企業、日本人のグローバルプレゼンスを高めていきたいと願っていて、そのために努力を惜しまない人材に来ていただきたいですね。徹底的に自分のやりたいことを考え抜いて経験を重ねたいと願う人、そしてどんな世界の人とでもしっかり信頼関係を築けるような、人間的魅力を兼ね備えたコンサルタントになりたいと願う人に、ぜひアプライしてほしいです。
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