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※こちらの記事は、弊社が運営する若手プロフェッショナル向けキャリアアップ支援サービス「Liiga(リーガ)」からの転載となっております。
はじめに
今回は事業会社の子会社社長を経験されたコンサルタント・I氏へのインタビュー、第2弾です。
第1回では、コンサルタントから事業会社に転職された際のキャリア観、事業会社で発揮できるコンサルタントの強みについてお伝えしました。
その続きとなる今回は、ビジネスのリアルとスタートアップならではの経験について語って頂きました。
ぜひご一読ください。
第1回「事業会社の中で活きるコンサルタントの武器」はこちら
第3回「コンサルタントというキャリアの持つ価値」はこちら
社長になるという決断
―次にIさんが社長として経営された子会社について伺いたいと思います。どういう経緯で立ち上げられた子会社だったのでしょうか。
遡れば、先ほど申し上げた既存事業での業務に加えて、親会社に入社後1、2ヶ月した時、インフラ系企業との提携事業の立ち上げを任せて頂くことになったことが始まりです。
サービス内容・提携スキームなどビジネスモデルの構想、提携先との交渉等を担当し実際に事業を立ち上げました。
親会社の事業はECによる「リフォーム」販売でしたが、この新規事業は、水漏れなど水回りのトラブル時に駆け付ける「水道修理」という業態でした。
親会社とはビジネスモデル、プロモーションから販売チャネル、職人の方の専門性も異なっており、オペレーションも完全に独立したものでした。
サービス立ち上げ後1年程は、私が既存事業と並行して専属の職人の方1人と当事業の運営・オペレーションを実施していました。
そのような中、先ほど申し上げたように既存事業では主体的に『意思決定』していくことが可能な環境を創るにはまだ時間が必要な状況でした。
そこで、親会社の社長とも相談させて頂いたところ、この「水道修理」の事業を子会社として独立させ、私もその経営に専念することで、事業の成長を加速させていく機会を頂きました。
ただし、もちろん既存事業のビジネスに貢献しない以上、私の報酬も子会社の利益に見合ったものとすることは前提の上です。結果として、親会社への転職時に選択外とした『スタートアップ』に比較的近い状況でのリスタートとなりました。
ゼロからのスタート
―そのご決断によって、経営者として意思決定の経験を積むことができたわけですね。
はい、今考えれば、『意思決定』はビジネスを進めるプロセスの一部であり、そのこと自体を目的とすることに違和感しかないのですが、『意思決定』の経験を積めたということは客観的事実だと思います。
財務面は親会社に担保頂き、経理機能なども親会社の機能を使わせて頂きましたが、その他は何も基盤がないところからのスタートであり、文字通り秒単位で決定していくことの連続でした。
提携事業だけではビジネス規模が小さかったため、まだ利益が出るビジネスモデルも商流なく、人材も職人さん以外は私一人の状況でした。
―人材もなかったのは大きいですね。
利益が出ていないため当然人を雇うことはできません。そのため、最初は全て自力で行う必要がありました。
職人の方の採用、仕入れ業者の開拓・交渉、ホームページやチラシの作成、テレビショッピング出演、お客様宅での営業、会計処理のルール・ツール創り、あらゆる事務処理など自分で決定して実行していく毎日でした。
―自力で事業拡大の仕方を探る必要があったということですね。
自分が決めて動かなければ何も進みません。サービス内容、価格設定、プロモーション方法など朝令暮改で試行錯誤を重ねて、単位あたりの損益が黒字になり拡大が可能となる事業構造を探し続けていました。
―会社の規模、例えば社員はどれほど増えたのでしょうか。
半年程度で職人の方を中心に最大で10人以上になりました。
水道修理やリフォームの分野では、プロモーションへの反響率が収益性を左右する大きな要素なのですが、地域限定で配布したチラシ(私がPPTにて作成したもの)、自ら出演したテレビショッピングにて、単位あたりの損益が黒字となる反響があり、損益分岐点超えが視野に入ったため一気に拡大しました。
―なるほど。事業拡大は順調に進んでいたと。
いえ、拡大は本当に一時的なものでした。数か月せずに反響率が低下し、何をしても損益分岐点を下回ることになります。
理由は、地域拡大の失敗と価格競争の激化の2つが主なものと考えています。
それまで神奈川県の一部地域に特化していたのですが、採用の観点もあり埼玉県に支店を出しました。しかし、埼玉の方では、神奈川と同じような反響が取れませんでした。
神奈川では、地元のインフラ系企業と提携していることを消費者の方が把握されていて信用度が増し、提携事業以外のサービスでも反響率が上がっていたようなのです。
インフラ系企業と提携していたことは会社として大々的に言えなかったことなので意外な効果でした。
また、当時は提供サービスの最安値をわかりやすいセールスポイントとしていたのですが、大きなEC系競合会社が、自社と同じレベルまで価格を下げきて、価格競争での優位性が薄れた影響も大きかったと考えています。
どちらも、サービスでの差別化要因を築く前に、価格面だけでの勝負に走り、急拡大してしまったことが根本原因だと思います。
当面は私が一人で施工以外の全ての機能を担うことにより競合比で固定費を下げて価格勝負をかける、その間にサービスでの差別化を図る、という戦略であったのですが、人間が一人でできることには限界がありました。
事業経営のリアル
―利益を出せない状況に追い込まれたということでしょうか。
はい。坂を転げ落ちるように現実は急激に厳しくなりました。満足な反響が取れなくなる中、月々社員の方へのお給料の支払いや取引先への支払いは必要となります。
赤字になると分かっていても、広告を出して仕事を創らないことには目先のお金が入ってきません。
抜本的に立て直す時間の余裕もなく、悪循環のように、次々に時間とお金が減っていきます。コンサルタントが考えるような「論理的に考えてここが課題だからこうすればいい」という次元の話ではありませんでした。
差別化の必要性がわかっていても、目の前に迫った集客においては、価格以外訴求できませんでした。課題が何か分かっていても、手が出ないのです。
結果、この事業は立ち上げから徐々に縮小していき2年半程度、子会社化してからは1年半程度で閉じることになりました。
―社長になるというリスクをとる、思い切った決断をされたことで、立ち上げからクローズまで良い経験ができたということなのでしょうか。
客観的に見れば、もちろん得がたい、何ものにも変えられない経験でしょう。必要な情報を集め、時には情報のない中で自ら『意思決定』を重ねることで、『意思決定』のために必要なレベルの情報の深さや精度が肌感覚でわかるようになったためです。
実際に、この経験の前後ではコンサルタントとして私が出すバリューは天と地ほどの差があると思います。
しかし、1人のビジネスパーソンとしてこの結果を美談化することはできません。親会社に損失を与えたという事実が全てで、責任は今でもあります。
また、1年半程度での試行錯誤かつ何も結果を残せていない中で、会社を『経営した』など言えるレベルには程遠いものだと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
意思決定を自ら重ねたいとの強い思いにより、子会社社長になられた経緯は、皆さんにとって興味深かったと思います。
特に、事業がクローズに追い込まれたケースは、現実の厳しさを感じるものだったのではないでしょうか。
次回は事業会社での業務と子会社立ち上げ、コンサルタントを経験された故に見えてくる、コンサルティングと事業会社、スタートアップの違いや、コンサルタントのキャリアとしての魅力について、I氏に語って頂きます。
ぜひご覧下さい。
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