わたしの上司は本が好きで教養も知識もあり弁が立つので、ある面ではそれが活きてご立派なのでしょうが、その自信からなのか他人のまえで気取ったり見下したり、マウントをとって相手を困らせるどうしようもないやつです。情けないことに私は言葉に詰まるし、頭の回転も早くはないので上司の恰好の餌食でして、たしかに私も一般教養云々には疎いところがあり、そこを突かれるとなにも言い返せないのですが、上司はカフカを読んでないようなやつなので、内心ではお前が出直せよと思っています。それが私の態度に出てるのか、上司もそういう機微には敏感で、更に攻撃を重ねてくるという顛末です。現実では私がバカ扱いなのでムカつくけれど、教養を道具みたいに扱ってる浅ましいやつが威張ってる社会って何なんでしょうか。
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相談室回答者
作家、劇作家、演出家、俳優 。高校卒業後富良野塾に入塾し俳優として活動をはじめる。1996年より劇団FICTIONを主宰し作、演出、出演を担当する。2011年より小説を発表。 2012年『緑のさる』で第34回野間文藝新人賞、2017年 『しんせかい』で第156回芥川賞を受賞。そのほかの著書に『小鳥、来る』『月の客』などがある。
どこかで演劇のワークショップをした時、休憩にたばこを吸いに出たら参加者の一人が近づいてきて「芝居って難しいですよね。芝居っていったい何なんでしょう」といってきた。そして自分たちのする劇団か集まりのどうしようもなさを嘆いた。たまにそれをいう人がいる。〇〇って何なんでしょうか。いう人はだいたい眉間にしわをよせて笑ったような怒ったようなうんざりしつつ快感めいた顔をしてそれをいう。しかしあれは罠だとわたしは知っていたから何も話さなかった。あれは罠だ雑な。反応したとたん不毛な興奮がはじまる。先生はねこたえを知っているよ。「〇〇って何なんでしょうか」は質問じゃない。それは何も聞いていない。聞かれていないからわたしは思いついた事を書いている。〇〇が何かは自分で考えるしかない。合っていようと間違えていようと関係ない。自分で考え続けるしかない。考える事はそれしかない。そんなくそ上司なんかどうでもいい。カフカはおそらく〇〇を考え続けた人だ。しかし〇〇が何かなんて書かずに、書く気もなく、書かないからこそ、あれら膨大なものらを書いた。カフカは『審判』(最近は『訴訟』とされていたりする。どっちでもいい)の一章の冒頭を友だちに朗読した時笑いすぎて朗読にならなかったらしい。何の罪かもわからず逮捕される場面の事だろうか。ラスト、主人公は処刑されて「犬のようだ!」と叫ぶのかつぶやくのかするが「人間のようだ」でいいと思う。だけどそれじゃあ意味がわからなくなるか。だからやっぱり『城』はすごい。
回答日:2021/05/31
