最近、私が感じる面白いと面白くないの価値観が大きくひっくり返り、かなり戸惑っています。
例えば、人の噂話や芸能人のゴシップネタ中心の話題や、自慢話、自分の話などしか話さない人(過去の私。いや、今もそうかも。)や、人と競う人の話は、予定調和でつまらなく感じるようになりました。
逆に、とても個人的で稀有な体験の話を聞くと面白く感じます。歪みや考え方のクセが、その人そのものと感じるからです。
自分も面白い人になりたい!そう願い、絵を描いたり、文章を描いたりしていますが、何かを表現すればするほど、平凡でつまらない自分が露見するようで、苦しくなる事も多いです。
何を極めたら面白い人間になれるのだろう?と考えていますが、答えは見つかりません。
そもそも、人生には答えが無いんだし、周りにいる家族や友達や知人と話した時に、楽しかったと思わせられるような人になりたいのですが。
山下さんの考える面白い人って、どんな人達ですか?
そして、面白い時間を共有したい人はどんな人達ですか?
そうなるための、ヒントなどありましたら、教えて頂けると嬉しいです。
45歳 ペンネーム ミミ子
この質問への回答 1件
相談室回答者
作家、劇作家、演出家、俳優 。高校卒業後富良野塾に入塾し俳優として活動をはじめる。1996年より劇団FICTIONを主宰し作、演出、出演を担当する。2011年より小説を発表。 2012年『緑のさる』で第34回野間文藝新人賞、2017年 『しんせかい』で第156回芥川賞を受賞。そのほかの著書に『小鳥、来る』『月の客』などがある。
というか生きた人間に「おもしろくない」などという状態はない。わたしはラボと名付けた、あれは何だろう、いちおう演劇の?ワークショップ的なもの?をしばらくやっていた事があるのですがほんとうにそうでした、おもしろくないものなどなかった。オリジナルだとか独特だとかいうものは身体の仕組みのゆがみのようなものだという事がよくわかったし、表現と呼ばれる行為をする人、好きな人はどうしようもなくその事に自覚的にならざるを得ないのだなと思いましたしそれだけの事でもあるとも思いましたしましてや上手いか下手かなどまったくどうでもいい、そもそも優劣がない。ですからわたしもいわゆる「すべらない話」的なものがつまらない。それはしかしたぶん多くの人に起きている事のようにも思います。なのならさっさとそこらを脱ぎ捨ててしまえば良いのにと思いますが脱げない仕組みなのか意思では無理なのか質(タチ)なのかなかなか脱げず、今の新型コロナのような「幽霊」がのうのうと跋扈します(軽視しているのでもなく外国ではたくさん死んでいるのになぜかそもそも綺麗好きな国だからなのかこの国ではあまり死なない、怖い怖いというわりには「あれ?」というのが現時点での実情で、切羽詰まっているのはウイルス自体というよりはあれこれの仕組みであり仕組みを強化してしまうわたしたちに染み付いた、だから「質」であり。もちろんげんにきつい症状後遺症はあるにせよ、しかしそんなものは新型コロナに限らない。という意味で幽霊、けっこうリアリティのある幽霊という意味で「幽霊」とわたしは書いています)。鍵になるのは(おもしろいのは)やはり、それが身体の仕組みによるのか何なのかわたしにはわかりませんが、言葉により編まれた網による流れを基盤としたわたしたちに人間になぜか時々あらわれる、ほつれ、穴、のようなもの。いい間違い、思い間違い、聞き間違いというような。おぼえ間違えた歌詞に気もつかず気持ちよさそうに歌っている人を見るとそれが悪人であれ何とも素朴におかしいというような。ちなみに稀有な体験だとかにはわたしはたいして反応しません。UFOが降りてきて宇宙人に「乗れよ」といわれたから乗ってあっちからこの星見て来たとかいわれてそれがほんとうでも感心はしますが、だから、へー、とは思いますが、へー、と思うだけです。当事者かそうでないかにあまり興味がないのだと思います。
回答日:2021/04/21
