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sponsored by シンプレクス・ホールディングス
「ここなら年収1億円を実現できる」。シンプレクス・ホールディングス代表取締役社長(CEO)の金子英樹氏は真剣な面持ちでそう語った。1億円プレーヤーを目指す人に待ち受けている壁は当然低くない。戦略コンサルティングとテクノロジーの両面でスキルを高め、若手のうちから大企業の経営陣と渡り合い、時には数十億円規模の予算を任されることもある。本当の修羅場と言える成長環境が、シンプレクスには広がっているという。
顧客から「生意気なベンチャー」だと言われても若手を前面に立たせ続ける金子氏。その信念は、苛烈なグローバル環境で戦ってきた経験に裏打ちされている。もし本気で自らのキャリアビジョンを考えたいと思うなら、まずは同氏の言葉に触れてみてほしい。
※内容や肩書は2023年7月の記事公開当時のものです。
外資コンサル、ベンチャー、投資銀行を経験し「会社員じゃなくてもいい」と思った
——シンプレクス立ち上げまでの金子さんのキャリアを改めて聞かせてください。新卒入社したアーサー・アンダーセン(現アクセンチュア) の後、外資系ベンチャーも経験したそうですね。
金子:アメリカ・シカゴのアーサー・アンダーセン本社に勤務していた時の上司が、シリコンバレー発のベンチャーにヘッドハントされたんです。モルガン・スタンレー出身者がオーナーとなり、スタンフォード大学出身者を集めて、投資銀行のトレーディングビジネスを支えるための世界初のパッケージを作っているベンチャーでした。
後に、そのパッケージを世界に拡販すべく、ニューヨーク・ロンドン・東京にオフィスを開設することになって、私自身も元上司からヘッドハントされたんです。
1990年当時、日本の金融業界のトレーディングビジネスでは、株や債券に加えてデリバティブ(金融派生商品)という分野が普及し始めていました。これは複雑な金融商品なのですが、いくらで売るべきなのか、どんなリスクを持っているのかなどを計測するソフトが日本にはほとんどなかった。そのため私が勤めたベンチャーのパッケージは大手銀行や証券会社にどんどん売れ、私はトップセールスになりました。このベンチャーで金融工学と出会い、金融業界の世界トップクラスの舞台でプレーヤーとして戦ってみたいと考え、その当時世界で最もトレーディングビジネスで成功していたソロモン・ブラザーズに移ったんです。
外資コンサルにテック系ベンチャー、そしてウォールストリートのトップを走る投資銀行。これらの経験が現在のシンプレクスにつながっています。
——独立を決めた経緯を教えてください。
金子:ソロモン・ブラザーズでは30歳からの3年間マネジメントを担い、年俸1億円に手が届きそうな位置にいましたし、他社からのヘッドハントもどんどん舞い込んでいました。
ここまで来たら「もう会社員じゃなくなってもいいかな」と思ったんです。最初から事業内容のビジョンを明確に持っていたわけではありませんでしたが、当時私がヘッドを務めていたトレーディングテクノロジーチームのメンバーとともに、起業することにしました。
国内の金融機関からは「ウチに来ないか」と誘われつつも、さすがに年俸1億円は払えないと言われましたね……。でも「金子が考えるプロジェクトには20億円出せる」と言われたんですよ。金融機関のトレーダーやテクノロジー部門のメンバーを教育しながら、組織にとって武器となるシステムを作るプロジェクトです。
これまで培ってきたテクノロジーと金融工学を掛け合わせることで「ノウハウがある企業が再現性ある形で勝ち続けられ、顧客からも努力を正当に評価していただける領域」を作れると気付き、新たなスタートを切ることにしました。
「シンプレクスは生意気だ」と言われても若手を前面に出し続ける理由
——ビジネスの最上流からシステムの開発・運用保守まで、全てを自社で担う「シンプレクスの一気通貫」は創業時からあったのでしょうか。
金子:ビジネスの戦略を基に最適なシステムを定義・開発し、実際に現場で使われているところを見て当初の戦略が達成されているかを検証する。こうして最上流から最下流までを1チームとなって最後まで担うのは、私からすると当然のことなんです。
アクセンチュアも、私が在籍していた時代はとことんシステムを作っていましたよ。上流でビジネスコンサルをしながら、下流では自分たちでシステムを作るのが事業の本丸でした。
シリコンバレーのベンチャーも同じです。優秀なメンバーがトレーディングやデリバティブを必死に勉強してシステムパッケージを作り上げ、それを自分たちで売ってメンテナンスしていたんです。
——そのハイレベルな一気通貫を、20代の若手人材が担っていることにも驚かされます。
金子:確かに顧客との取引では、大企業の管理職を相手に、シンプレクスからは20代の若手が一人前のプロフェッショナルとして対応しています。「シンプレクスは生意気だ」ともよく言われますが、我ながら無理もないことだと思います。
——なぜベテランだけでなく若手を重要な場に出していくのでしょうか。
金子:顧客企業の優秀な人たちと対峙し、渡り合う経験を積んでほしいからです。大企業の部長クラスの人たちと折衝することに若手のうちは苦労しますが、そうした現場で鍛えられているうちに、他社の同年代とは比べものにならないくらい優秀な人材になれる。その成長こそがシンプレクスの価値を支えているのです。
評価は全員で徹底議論。「ロジックとエモーション」に基づいた実力主義社会
——ある意味では、若手には修羅場が必要だと。
金子:私は必須だと思っています。
いわゆるホワイトな働き方ができる職場、人に優しい職場を作ることも大切ですが、ビジネスパーソンとしての奥深さや幅広さを若手に持たせたいなら、実力に応じてどんどん高い壁に挑める環境を作ることも必要でしょう。
だから、シンプレクスでは高い壁に挑むためのストレッチアサイン(能力以上の難易度の高い仕事を任せる)を行い、ビジネススキルとテクノロジースキルの両方を磨けるようにしています。そんなふうに実力主義でやっていくと、先輩が後輩に追い抜かれることも当たり前に起きます。
今では、2010年以降に入社した12〜13年目くらいの社員が、年次の高い社員の年収を超え、年収2000〜3000万円に達するケースも出てきました。
——そうした差が明らかになる中で、誰もが納得感を得られる評価はできるのでしょうか。
金子:できます。シンプレクスの「札入れ制度」がそれに当たります。
評価のポイントは、自分が20人のメンバーを抱えるプロジェクト・マネージャーだとして、もし上から「メンバーを見直すことはできますか。連れていけるのは5人だけの予定です」と言われたら誰を残すのかという視点を持つこと。残すメンバーの順位を真剣に考えれば、マネージャーとしてメンバーのどんな能力を評価するのか、軸が定まっていきます。
そして、そういった考えに基づく一次評価の過程では、評価対象者以外の全員が集まり、一人一人への評価について徹底的に議論する場を設けています。徹底した実力主義に基づいた評価を多面的に行っているわけです。
さらに言えば、こうしたロジックだけでなく、エモーショナルな部分も評価では大切にしていますよ。例えば結婚や出産などを経て以前より仕事にコミットできなくなることだってあるでしょう。もしくは、優秀な人たちの中で「これ以上自分は飛び抜けられない」と感じることだってあるかもしれません。
そんな時には、その時点で実現可能な成果を出し続ける努力さえしてくれれば、それでいいんです。シンプレクスの価値は、飛び抜けている特別な人たちだけが生み出しているわけではない。ここにいる一人一人が形作っているわけですから。
コンサルの世界はよく“Up or Out”だと言われますが、シンプレクスでは“Up or Stay”と言っています。ステイは給料が上がらないという意味ではなく、「ずっとここにいてね」という会社からのメッセージです。
知識だけで勝負できるのは3年目まで。顧客企業の経営者と向き合う際に求められる力とは
——この実力主義の環境で飛び抜けていける若手はどんな人ですか。
金子:最初の3年くらいで飛び抜けていくのは、コンピュータサイエンスやファイナンスなど、シンプレクスの事業に直結する内容を勉強してきた人が多いですね。
でも4年目以降はガラリと変わり、ビジネスパーソンとしてどれくらい優秀なのかに左右されるようになります。この時期になればすでに会社の看板を背負って、顧客企業の経営陣とも会話するようになるからです。うまくタスクをこなす力だけでなく、タスク自体を自ら切り出したり、自分で考えて提案したりする力が求められていきます。
——それは「経営視点を持つ」ということでしょうか?
金子:そうかもしれませんね。タスクをただ効率的にこなそうと思えば、受験勉強と同じように、問題文に疑問を持ってはいけません。課題は問題文として与えてもらった上で、正しくロジックを積み上げ、誰よりも早く回答を出すことを追求していかなければなりません。
でもビジネスの現場では、顧客の言うことが全て前提条件になるとは限らない。システム開発は分かりやすい例で、そもそも顧客が問題文を持っていないことだってたくさんあるわけです。
「5億円の予算でこんなことを実現したい」と相談された時に、それが5億円では絶対に実現不可能な場合もあります。本当に目的を達成したいなら20億円が必要になるかもしれない。それを顧客にはっきりと伝えなくてはいけないし、何をどう頑張っても5億円しか確保できないなら、そもそも引き受けてはいけないプロジェクトなのかもしれません。そうしたシビアな交渉や判断を繰り返すのは、経営視点を持つことと同義だと言えるでしょう。
日本を閉塞感に包まれたままにはしたくない。だから本気で成長できる環境を作る
——金子さんは社員時代、年収が1億円近くに達していました。シンプレクスでこれを実現することはできますか?
金子:できると思いますよ。実際に、現在の取締役4人のうち3人は年収1億円を超えています。
収入で言うと、シンプレクスでは「標準成長で30歳、年収1000万円」を実現したいと考えています。その中でも飛び抜けて成果を出す人には、30歳で2000万円を超えられるようにしたいと思っています。
現在のところ2000万円超えの最年少記録は33歳ですが、これをどんどん更新していきたいんですよね。そうすれば30代の年収伸び率も高くなり、4000万、5000万、そして1億が見えてくるはずです。
——これからを担う若手に、金子さんはどんなメッセージを送りますか。
金子:日本はバブル崩壊後の大きな閉塞(へいそく)感にとらわれたまま、30年以上が過ぎてしまいました。物価も人件費も世界と比べてどんどん安くなっている。私はこの状況をすごく残念に思うんですよ。
せっかく日本の中で上位校だと言われる名門大学を出ても、初年度年収300万円台の会社に就職する人だってたくさんいますよね。私は決して学歴至上主義ではありませんが、優秀な若手を見ていて本当にもったいないと感じることが多いです。
世界を見たら、ハーバードやMIT、スタンフォード、清華大などを出て年収300万円台の会社に行く人なんてまずいないでしょう。「スタート時点で1500万円台以上が常識」だと考えているんじゃないですか。
海外の若者たちはお金だけを理由に動くわけではない。高みを目指して挑戦し続けるために最適な環境を選んでいるんです。日本の若者たちにも、社会人となってからも貪欲に挑戦してほしいですね。シンプレクスは本気で成長したいと考える人のための環境を用意しています。その代わり、甘くはありませんよ。
私がここまで言うのは、自身の若手時代を振り返って、本当に楽しかった実感があるからです。自分が世界の最先端にいてイノベーションを起こしている手応えがありました。どんどん上を目指し、年収1億円を実現できる確信もありました。
私は、今の若い人たちにもそんな仕事をしてほしいと思って、シンプレクスを経営しています。
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