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新聞社でカメラマンとして活躍する北村玲奈さん(30)は、外資系金融機関から報道の世界に転じたというユニークな経歴を持っています。早稲田大学を卒業後、最初に入社したのは、米国を拠点とするシティバンク銀行でした。個人向けの営業部門で4年間働いたあと、ジャーナリズムの大学院を経て、2013年に朝日新聞社に転職したのです。
新卒で外資系企業を選んだのはなぜなのか。そこでどんな経験を積み、いつ転職を決意したのか。銀行と新聞社というと関連性が無さそうですが、北村さんにとっては、外資系銀行での経験が今の報道の仕事に役立っているといいます。それは、どういうことなのでしょうか? 北村さんにお話をうかがいました。(取材・構成:亀松太郎)
多様性のある環境で働きたかった
――2009年にシティバンク銀行の個人金融部門(2015年にSMBC信託銀行へ事業譲渡)に入社したということですが、外資系の金融機関を志望したのはなぜでしょうか?
北村:子どものころ、アメリカに住んでいたので、多様性のある環境で働きたかったんですね。金融機関に行きたいというよりは、外資に行きたいな、と。就活では、欧州系の会社も受けてみましたが、自分は米国系のほうが合いそうな感じがしました。3年の夏ごろから就活を始めて、米国系の銀行や証券会社から内定をもらいました。
――シティバンクのような外資系金融機関では部門ごとの採用が一般的ですね。いくつかの部門の中で、なぜ個人金融部門だったのでしょう?
北村:正直なところ、そんなに深く考えていたわけではないですね(笑)。強いて言えば、個人金融のほうが法人金融よりも身近なイメージがありました。入社後、私は東京の広尾支店に配属されたんですが、お客さんの8割は外国人でした。いろいろな国の人の相談に乗って、頼りにされるのは楽しかったです。学生時代は、アメリカに1年間留学したり、バックパックで海外を旅行したりして、いろいろな国の人と関わるのが好きだったので、やりがいのある職場でした。
――就活をしていたとき、メディアへの就職は考えなかったんですか?
北村:メディアへの興味はありました。でも、真剣に就活したわけではありません。NHKと朝日新聞くらいは受けてみましたが、先に外資系から内定をもらっていたので、モチベーションが低かったです(笑)。また、メディアに行くなら、別の業界で社会人を経験してから行ったほうがいいのではないか、とも思っていました。
転職を考えたきっかけは東日本大震災
――シティバンク銀行では、4年目に営業部門からバックオフィスへ異動したそうですね。
北村:実をいうと、3年目のときに「転職を考えている」と上司に伝えたら、「別の部署はどうか」と異動になったんですね。支店のシステムを開発する部署で、プロジェクトマネージャーをしていました。それでもやはり、転職したいという気持ちが強く、異動後1年で退社しました。
――転職を考えたきっかけはなんでしょう?
北村:もともと報道への興味があったのですが、
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