「早くから個人の名前で勝負できる環境を選びたい」。だから、商社でも外資コンサルでもなかった。 野村総合研究所・河邊俊輔さん
2016/05/16
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「何があっても生き残れる人間」になりたい
―河邊さんが、キャリアについて考えるきっかけが高校時代にあった、ということなのですが。
突然の家庭事情で、高校を辞めて働かないといけないかも知れないという状況に陥りました。当時の私はエジソンに憧れた少年時代のまま走り続け、ノーベル賞を取りたいって本気で思っているような、純粋な科学者志望でした。頭が真っ白になった瞬間は、今でも鮮明に覚えています。
幸い高校は辞めずに済みましたが、こういった危機があったお陰で、ガラッと自分の価値観が変わったんですよね。現実社会では、抗いようのない理不尽が起こり得て、自分自身に力が無ければ不測の事態が起こった時に食っていけない可能性もあるのだなと。
高校生だった当時の自分にできたことは、とにかく勉強することでした。幅広い知恵を身に付けることが、将来の生き方の幅を拡げることになると思い、とにかく寝る間を惜しんで必死に勉強。成績は全国模試で30番以内まで上がりました。
努力の甲斐あって大学に進学でき、両親のお陰で大学院まで進むことができました。
ただ、「今後何が起こるか分からない」「自分に力をつけないと社会で生き残れない」という危機感は、ずっと持ち続けていました。
―「社会で生き残る力をつける」ため、就職活動ではどのような進路選択を考えたのでしょうか。
就活を始めたのは、大学院修士1年の夏頃でした。当初は技術者の道も考えていましたが、ふと立ち寄った合同企業説明会で、自分が知らない選択肢がまだまだあることを知り、幅広い業界を対象にしようと決めました。
そして、リーマン・ショックが起こり、ニュース等で多くの企業が危機に直面する姿を目の当たりにしました。
そこで、過去にやってきたことの延長線上で道を選ぶのではなく、将来「社会で生き残る力をつける」ことをゴールに、キャリアを選択しようと考えました。特にリーマン・ショックで実感したのは、会社の名前で仕事をしているようだと、会社がなくなる=仕事を失うことになってしまうということです。
「河邊」という個人の名前で早期から勝負できる仕事に就かなければ、身の保証は得られない。そうした危機感が強くなり、「個人で社会に通用するスキルが磨けるか」をキャリア選択の大前提としました。
業界は問わず、幅広い企業にエントリーした結果、夏はメガベンチャーとベンチャーのインターンに参加。野村総合研究所(以下、NRI)は夏インターンに落選し、冬インターンで合格しました。その後、外資コンサルのジョブにも参加、IT企業のコンサル部門、総合商社などにもエントリーしました。
最初に内定をいただいたのがNRI、その後、総合商社、外資コンサル、メガベンチャー、ベンチャーなどから内定をいただきました。
―複数業界にまたがり内定を得られて、どのような軸で入社先を決定されたのでしょうか。
「社会で生き残り、個人として通用する人材になる」というゴールから3つの条件を定め、そこに当てはまるかどうかで入社先を絞り込みました。
①特定の業界に限定されない力が身に付くこと、②幅広い人脈が手に入ること、③ 1・2の条件が5年以内に満たされること、です。
あくまで個人的な見解であり、またOB訪問など当時の活動から判断したことですが、まず、総合商社ですと、配属リスクがあり、長期間一部門で働くキャリアパスが多い。何千億規模のビジネスを扱い、さまざまなステークホルダーとともに組織的にビジネスを動かしていくのが主たるビジネスプロセスであり、若いうちから個人として仕事をするのは難しそうに思えました。
次に外資コンサルはどうかというと、意外と条件3が満たされないのではないかと感じました。顧客開拓はプリンシパル以上の仕事であり、プロジェクトの企画・運営・成果出しの一連の流れに関わるまでには約10年の歳月が必要になります。
NRIでの戦略コンサルティングの仕事は、私が見た限り、いずれの条件も当てはまっているように思えました。
話を聞いた所、先輩社員は平均して2年目でプロジェクトリーダー、4年目でプロジェクト企画を経験していまして。1年目で両方経験する方も多い、と。
また、会社から個人の専門性を決定されることはなく、自分がやりたいことは自分で決められるとのこと。個人として幅広い業界に関わるチャンスがあり、実際、部署を超えたプロジェクトアサインも多数得られるとのこと。
他に、「人間として尊敬できる方が多い」ということが大きかったです。面接でぶつけた私の至らない意見に対しても、頭ごなしに否定せず「どうしてそう思ったか?」を聞いてくれましたし、自由な環境の中でそれぞれのコンサルタントが「やりたいこと」「好きなこと」「達成したいこと」を持っていることが魅力的でした。
「河邊さん、ありがとう」コンサルタントとして価値を出せた瞬間
―入社後すぐから数多くのプロジェクトを担当されていますね。
入社すると、大手銀行の店舗業務改善の案件と、投資ファンド・総合電機メーカー・総合商社の水ビジネスの戦略立案に従事しました。
前者では、クライアントヒアリングから、業務プロセスを徹底的に書き出すことから始めるのですが、この案件で、プロジェクトマネジメント能力が徹底的に鍛えられました。
NRIでは1年目にインストラクターを付けてくれます。私に付いてくれたのは9年目の先輩。合格を貰えるまで、がむしゃらにアウトプットしていかなければなりません。
1週間かけてつくった資料が、先輩からの赤ペン入れだらけということは勿論、クライアントとの会議で参考資料扱いにされ言及もされず・・・。お客様のニーズを的確に捉えきれていないから、図表資料も的を捉えきれないものが出てきてしまう。「前向きに突っ走るのは良いけど軌道修正が大変だった」と今でも先輩に言われます。
―その後、2年目で海外プロジェクトを任されています。どういった案件だったのでしょうか。
日系化学メーカーのグローバル展開に向けた戦略立案でした。国内では高いシェアを持っているのですが、海外では売れていない。
それをどこの国へ、どう進出させ、どう伸ばしていくのか緻密な戦略が必要でした。私は、主に中国・インドなどの戦略策定を任されました。
NRIは、クライアントに本当に必要なことなら、決まったソリューションに拘らず、カスタムメイドで市場調査・戦略策定・M&Aアドバイザーなど、手広く支援するスタンスです。
だからこそ、広範な海外地域の対応を一括して2年目に任せるというのは客観的に見て凄い話ですよね。この案件では、現地拠点の力を借りながら、調査や事前交渉などで現地企業を頻繁に訪問。その他の案件も含め、1年間に約10カ国訪問。3カ月を海外で過ごしました。
―M&A交渉も2年目で担当されたのですか。その年齢で幹部クラスの方と交渉するのは容易ではありませんね。
どのプロジェクトでも、最初は「若いね」と言われます。直接言われなくても、目で言われます。簡単に信頼は得られず悩んでいました。
ただ、とある社長から、ふとした時に「君は美容師の年齢を気にするか?」と言われました。はっとしましたね。プロである以上、求められるのは成果。成果があれば、プロとして認められる。若く見られても、成果で見返すしかないのですね。
また、自信を持った話し方、表情、立ち居振る舞いなど、全ての面でプロとして相手を失望させない態度を取ることも重要です。質問に応えられない時は、曖昧な返答をせず、一度社内に持ち帰らせていただくなど、真摯な対応に気を配りました。そして何よりもクライアントが期待している以上のアウトプットを毎回返していくことが大事です。
そんなある日、海外企業との交渉がうまくいった帰りの空港で、クライアントから、「河邊さんが一緒に来てくれて良かった。」という言葉を頂きました。「河邊さん」という個人に対して、感謝されたんです。コンサルタントとして認めていただいたと感じた瞬間でした。
政府方針へも意見を述べ、業界自体を変えられる
―そして3年目からプロジェクトリーダーを務めていらっしゃいます。ここではどんな点でご苦労がありましたでしょうか。
とあるメーカー様の環境・エネルギー分野における新規事業開発プロジェクトでの話です。検討範囲が広く、ありとあらゆる技術×ニーズが想定でき、ゴールへの道筋がなかなか見えません。
どうすれば答えにたどり着くのか、どうすればクライアントが動く提案ができるのか、当初は本当に参っていました。
様々な方に助言をいただき考えぬいた結果、クライアントにも議論への積極的な参加を依頼し、各事業部から選出された幹部候補10人、当社から5人の精鋭コンサルタントをアサインしプロジェクトチームを立ち上げる形で、どうにか道筋をつけました。
「コンサルの提案」ではなく「コンサルの支援を受けて自分が考えた提案」であれば、動くのではないかと考えました。この点については道筋が見えたのですが、次にまた壁が待っていました。
成果で見返そうと思っていた私が大量にあるニーズとシーズを徹底的に拾い上げたいばかりに、その人数では無理のあるスケジュールを提案し、一時暗礁に乗り上げてしまったのです。上司からは実現性が薄いということで叱責を受けてしまいました。
やはり、プロジェクトは社内メンバーだけでなくクライアントと共につくり上げるもので、一つひとつの作業を自分事として解像度高く捉え、実現性の高いプランを立案しなければなりません。
最終的には、ニーズとシーズを捉える分解能を段階的に上げ、分解→有望領域を残すスクリーニング→分解→スクリーニング・・・を繰り返すことで、有望な領域を見極めて掘り下げる方法に切り替えました。
結果、有望領域から約100個のアイデアを創出し、同様の手法で収益性や実現性の観点から3つに絞り込み、新事業として提案。
経営層の報告では、提案した3案の事業化を目指すことが合意されました。結果的に成果は出せたのですが、これまでにもっとも苦労し、学びを得た体験です。
―そして5年目にコンサルティング事業本部 人材開発室に異動されました。今のお仕事についてはどう感じていますか。
人材開発室に異動したことで、ようやくコンサルティングを、ビジネスとして捉えることができるようになりました。
会社の方針を踏まえながら、どういうメンバーがどういうプロジェクトを行うのが良いのか。海外事業をどう展開するのか、誰が担うのか。年間1,600以上のプロジェクトが動く中、どういう人材を採用し、育成し、会社の発展につなげるか。グローバル本社という要素を持ちながら、経営視点から採用や育成を含めた人材戦略を構築していくのが主たる業務です。
これまで支援してきた「クライアントの戦略実行」を、自ら考え動いて実行していくので、とてもやり甲斐があります。
ところでNRIでは、同時に複数プロジェクトに携わることができ、若いうちから幅広い業界の知見を持てます。
昨今IT、電機、自動車、不動産、建設、電力など、複数の業界が入り組む形で形成される事業が増えていますし、実際クライアントからのニーズも、業界をまたぐことが増えています。
私自身も幅広い業界で、4年で40本のプロジェクトを経験しましたが、思わぬところで他業界の知見が生きる場面があり、その効果を実感しています。
―今後については、どのようなキャリアプランをお持ちですか?
今は一生コンサルタントを続けたいと思っています。
ここまで “楽”と感じた日は一日たりともありません。日々新たな仕事の連続で、毎回相当なインプットとアウトプットが要求され、責任も重大です。しかし、その分、自身のプレゼンスを高めれば、コンサルタントという中立的な立場だからこそ、業界全体にも影響を与えていく存在に成長もできます。
例えば、当社の上席コンサルタントが某省庁の委員会に招かれ、意見を述べます。その意見が、政府の定める業界ルールに直接的な影響を与え、時には述べた意見そのままに業界の方向性が定まっていきます。
もちろん、それだけの力を持つのは並大抵のことではありませんが、業界を変える経験なんて、なかなかできませんよね。長期育成を重視する方針ゆえ、一コンサルタントの各業界における知見や人脈もそれだけ深まっていくという背景から、このようなことが可能になるのだと思います。
そして、そんな20年目以上の大先輩が「まだまだ成長していける」と、さらに「先」を見据えていて。本当に奥深い仕事で、いくつになってもできないことばかりだろうと覚悟しています。
その背中を見て、生涯の仕事としてコンサルタントを続けていこう、という思いを強く持っています。
※掲載内容は取材当時(2015年10月)の情報です。
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