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電通はただの広告会社にあらず
こんにちは、外資就活 マスコミ・広告チームです。
皆さんは「電通」と聞くと真っ先に広告のことが頭に浮かぶことでしょう。もしかしたらそれは、毎年話題になるクリエイティブで先鋭的な電通の新卒採用ページかもしれません。
もちろん電通を広告会社として捉えるのはひとつの正解です。しかし、それは電通のやっている仕事のほんの一面を捉えたものに過ぎません。
電通では広告にとどまらない多様な活躍のフィールドが用意されています。
今回は、現役の電通社員に、「課題解決企業」としての電通の姿を伺いました。
「広告作るの面白くなさそうだから、広告会社は受けない」と思っている学生の方、ぜひご一読ください。
外交官志望から一転イギリス留学を決断
――宮林さんは2003年に経済学部を卒業し、電通へ入社されましたが、学生時代はどういった活動をされていたのでしょうか。
宮林:大学入学当初、「日本のグローバル化」というキーワードを胸に、外交官を目指していました。そのため、外交官志望者が集まるサークルに所属していました。また高校の時から趣味でバンドをはじめ、大学でも続けていました。この2本立てで大学生活の前半は過ごしました。
しかし、先輩の話などを通じて視野が広がってくるにつれ、外交官以外の選択肢も含めて可能性を広げてみたいと考えるようになりました。
――外交官を目指すのをやめたのでしょうか。
宮林:やめたというよりは、本当の意味で自分がやりたい外交の仕事は、民間にあると気づきました。つまり、日本の製品やサービス、カルチャーを世界に伝えることも立派な外交の仕事だなと。そしてバンドをずっとやっていたこともあり、音楽に近い領域で仕事をしたいと思うようになりました。結果、外交官志望から一転、エンタメ・マスコミ志望へ転向しました。
ただ、それまで何か専門領域を持って学んでこなかったため、音楽ビジネスについて一度深く学んでみたいと思うようになりました。そのため、1年間休学をして、イギリスへ留学したのです。
「グローバル」で「日本企業のブランディング」ができる電通へ
――留学先ではどのような経験をされたのでしょうか。
宮林:もちろん留学先では音楽ビジネスを学んでいたのですが、それ以上に、自分の考えが大きく広がりました。
当時、日本はまだテクノロジーやファッション・サービスクオリティ面で良い評判を維持しており、周りの外国人が私に「日本ってクールだよね」と声をかけてきたのです。それを誇らしいと思う反面、これは自分の力ではなく、先人達が経済活動を通じて日本のブランドを築き上げてきてくれたおかげだと、学生ながらに感じました。だから今度は自分がそれを作る側になりたいなと。
音楽も日本の文化の一種ではありますが、より広義に、グローバルで日本のブランドを築き上げる仕事をしたいと思うようになりました。
――そういった思いが電通への入社につながったのでしょうか。
宮林:そうですね。他にも日本企業の海外進出という軸で、商社やメーカーも受けていましたが、広告会社、特に電通が自分にフィットすると感じました。
そもそも、音楽ビジネス学んでいました! って話をして、面白そうに聞いてくれる会社が電通くらいだったこともありますが(笑)。
ただ正直に言って、広告への興味は当時はそんなにありませんでした。「顧客企業のブランディング」という仕事に惹かれ、その実現方法が広告だったというだけです。また、私は「他人の成功を支援する」ことにやりがいを感じるタイプだったので、自社の事業開発をするよりも、様々な企業のマーケティング活動の支援ができることは魅力的でした。
そして、当時の電通はグローバルへの拡大フェーズにあり、私の考えていた「グローバルで日本企業のブランディング」が実現できる環境であると感じたことで入社を決めました。
社内リソースをフル活用し、クライアントの課題を解決へ導く
――入社当初はどういったお仕事をされていたのでしょうか。
宮林:初めは、ある通信系大手企業のマーケティングを担当する部署に配属され、市場調査や企画書作成などを行っていました。
例えば、クライアント企業の新商品がどの程度需要があるものか、競合に比べて企業のブランドイメージはどう受け取られているのか、オンライン調査やデプスインタビューの設計や実施をしました。生活者の生の声を知るために2ちゃんねるの掲示板に張り付いたこともありました(笑)。
そういった仕事を3年ほど行った後、自身の希望もあって、営業局(現在でいうビジネスプロデュース局)に異動しました。
――なぜ営業局へ異動したいと思われたのでしょうか。
宮林:「クライアントと直接会話したい」とシンプルに思うようになったからです。
それまでいた部署は内勤で、クライアントと直接会話することは少なかったため、企画を作る際、社内の営業からまた聞きした情報をもとにすることが多々ありました。
そうした中で「営業をやりながら企画書を書けばいい」と思うようになり、営業サイドに回ろうと思いました。
――営業というと、具体的にどういったことをやるのでしょうか。
宮林:クライアントの課題特定が大きなミッションです。多くの場合、クライアントは自分たちがどんな課題を抱えているのかを客観的に判断することが難しい立場にいます。それを外部の視点で、コミュニケーションの専門家としての立場からいかに明確に特定できるかが営業の腕の見せ所ですね。
――内勤から営業に移ったわけですが、どうやってそのミッションをこなしていったのでしょうか。
宮林:最初のうちは回数を重ねるほかなかったですね。どんな情報が大事なのか当たりをつけようがないので、とにかく訪問回数を重ねて沢山の情報を取ってくる。そして会社に戻ってきて、社内の頭のいい人たちに「こんな情報があるのですけど、どこが課題でしょうか?」って聞くのです(笑)。
これが経験を積んでくるとだんだんと当たりがつけられるようになってきて、数回行くだけで何が根本的な課題か見えるようになります。
また私は5~6年ほど営業局にいましたが、その間に担当する企業も、ファンクションも変わっていったので、同じ業務をずっとやったわけではありませんでした。
TVや新聞、ネット、イベントなどに予算をどう配分していくかを考えたり、実際にCMやポスターなどの広告を制作したり、イベントの企画・運営もしました。
――課題解決の上流から下流を一通り経験されたのですね。
宮林:そうですね。お客さんの持つ課題を明確にし、それを実際の解決策の形にして提供するという流れを経験することができました。
ただ当然ですが、これらの業務を私一人でやったわけではありません。社内に優秀な人材がたくさんいますので、私が考えていたのは「どう自分がこの仕事をこなすか」ではなく、「どう社内のリソースをフル活用できるか」でしたね。
「広告コミュニケーション」だけの広告会社に限界を感じた
――その後は一風変わった仕事をされていたとか。
宮林:「SIPS」という消費者行動モデルの開発に携わりました。ソーシャルメディアが主流となる時代の生活者消費行動を整理したもので、Sympathize(共感する)→Identify(確認する)→Participate(参加する)→Share & Spread(共有・拡散する)の頭文字を取っています。
当時、ソーシャルメディアが出始めたころで、mixiやGREEが使われていました。Facebookもまだ確立されておらず、今では信じられないことですが「実名制のSNSは日本のカルチャーに合わない。そのうち消えてなくなるだろう」なんて言われていました(笑)。
電通には当時、「サトナオ・オープンラボ」という社内横断組織があり、そこではこうしたソーシャルメディアが消費者の購買行動にどういう影響を与えていくのかを考えていました。当時の電通でそんなことを考えている組織は他になかったので、かなり変わった集団でしたね。縁あって私もその組織に属することになり、新しい消費者行動モデルを開発するプロジェクトに参加しました。そこで出来上がったモデルが「SIPS」です。
――それまでのお仕事とはかなり変わったものですね。
宮林:はい。私自身、「SIPS」の開発を経て、多くの新しいインプットがありました。その結果、良い意味で電通の在り方に強い危機感を覚えるようになりました。従来のように、目の前にある課題だけを解決していっても、いずれ限界が来るという確信を持ちました。
――なぜ目の前の課題解決だけだと限界が来ると思われたのでしょうか。
宮林:その時点で既に、クライアントの持つ課題は広告の枠を明らかに超えたものになっていたからです。だからこそ、これからの時代は、広告コミュニケーションだけではなく、クライアントのビジネス全体を捉えた上で、組織や人、ビジネスモデルといった根本的な課題から考えていく必要があると感じました。
今でこそコンサルティングファームと広告会社が競合し始めましたが、当時は「広告会社はあくまで広告の枠組みでの課題解決」だったのです。
ビジネス全体を見る目を養うためにMBAへ
――ビジネス全体を理解して課題解決をしなければいけない、と。
宮林:そうです。例えば企業/商品ブランドを作る際に、広告コミュニケーションの文脈では生活者のパーセプションを変えるために広く深く伝わるメッセージとメディア導線を設計しますが、私の中で最強のコンテンツ/メディアはテレビでもインターネットでもなく、その会社の従業員、つまり「人」だと考えるようになりました。
なぜなら、ソーシャルメディアの普及で個人がエンパワードされた時代においては、自分の働いている会社や扱っている商品を心から愛している社員が溢れる会社を作り上げることよりも、強いブランドを生み出す手段はないと思うからです。
そう考えると、中長期の課題はいかに優れた組織文化を作り上げるか。必要な人材を採用・育成できるか。彼らにそこに留まり続ける十分なインセンティブを用意できるか、に尽きます。それは経営リーダーシップの課題であり、組織運営の課題であり、ビジネスモデルの課題です。
私は、こうした経営課題に取り組んでみたいと思い、自分自身をUpdateするためにMBA留学を決断しました。ビジネス全体を見る目を養おうと思ったのです。そしてケースメソッドという授業スタイルで有名なイエセ経営大学院へ入学しました。
――ケースメソッド形式を選んだのはなぜだったのでしょうか。
宮林:当時、私は「知識は陳腐化する」と考えていました。MBAに行って最新のファイナンス理論を学んだとしても、卒業するころには忘れていて、学費と時間の無駄遣いに終わるなと。「最新の理論」はすぐに最新ではなくなりますし。
一方、「ものの考え方は一生使える」と考えました。ケースメソッドは、知識を学ぶだけの一方的な講義ではなく、授業のほとんどがディスカッションで、正解のない世界で考え続ける経営者のシミュレーションに近いものでした。これであれば「考え方の型」を学べると思い、イエセ経営大学院を選びました。
電通による事業投資~扱う領域は広告からビジネス全般へ
――MBAを経て転職を果たす方も多い中、MBAから電通に戻ってきたのですね。
宮林:帰国後は日本を代表するメーカーのグローバルプロジェクトに参加しました。電通に入るとき、「グローバルで日系企業のブランディングをやりたい」と言っていたのが、11年経って叶いました(笑)。
どういうキャリアを過ごすべきか正直悩んでいましたが、このプロジェクトのオファーをもらって、これをやらずに次のことは考えられないなと思い、ありがたく復帰させて頂きました。
――入社時の思いが叶ったのですね。
宮林:そうなりますね。ただ、このプロジェクトを3年間やり切った後、自分の中で「国内外での広告・マーケティングの仕事は一通り経験できた」と感じ、また新しいチャレンジを考え始めました。
そこで当時のビジネスクリエーションセンターというこれまでとは全く違う部門に異動しました。
その部門内にある電通総研という組織にて、商品やサービスの開発に携わりました。現在やっている業務も、私の中ではこの延長線上にあります。
――現在はどんなお仕事をされているのでしょうか。
宮林:投資も含めた事業開発の仕事をしています。具体的には、アメリカ・イスラエル・欧州のマーケティング・テクノロジーの会社をソーシングし、日本やアジアに持ってくる仕事をしています。電通の投資先を見つけ、実際に日本・アジアへの進出の戦略を立て、実行を支援しています。
――となると、扱う領域は広告にとどまらないですね。
宮林:そうです。広告のみならず、ビジネス全般が担当領域です。
例えば、日本に法人登録のない会社を持ってくるので、法人設立の手続きまでやることもあります。他にも、海外企業のサービスを日本やアジアのマーケットにどうローカライズしていくか、どんな価格設定にするのか、どのチャネルを使って営業をかけていくのか、全てのオペレーションをこなすのに必要な人材は何人でどこからリクルーティングしてくるのか・・・PL責任者としての事業戦略を全て考えた上で、実現に向けたタスクを一つ一つこなしていきます。
そしてマーケットの反応を考慮した上で、「いけるな!」となったら、会社本体から資本を入れて、より密に事業を展開できる形を整える、というやり方を取っています。
簡単なイメージでいうと、「VCやファンドの事業を、よりハンズオンでやる人たち」という感じです。他の広告会社とは全く競争しない領域でビジネスをしています。
――競合となるのはVCやファンドになってくると思いますが、彼らに比べてどのような違いがあるのでしょうか。
宮林:競合はしません。やっている業務は近いですが、投資はアプローチの一つとしか考えていませんし、事業の成功にコミットしながら電通というマーケティングの専門家としての目利きとネットワークを活かしています。
そもそもマーケティングの領域は日本よりも英語圏の方が市場が大きい分 大きな投資が行われており、開発スピードも早く、より進化しています。その領域において、グローバルのトレンドを読み解き、未来の種になりそうなテクノロジーを日本やアジアの市場に合う形で持ってくるという一種の「タイムマシン型」の事業投資・開発を行っています。よって、多く種を蒔いてごく一部の成功を待つ一般的なVCやファンドよりは、高い確率で事業を成功させることができていると思います。
――電通として事業投資を行う意義はどういったところにあるのでしょうか。
宮林:これからの時代、自分たちで全部をやるというのは難しいです。企業の課題解決にしたって、広告という手段だけでどうにかなる話じゃなくなっています。
そんな時、足りないものを自前で一から開発していてはお金も時間もかかる。だったら、その領域で上手くいきそうなパートーナー候補を見つけてきて、そこにお金も人もベットして、自分たちの仲間に引き込めばいい。そういうやり方をやっていかないとこれからは生き残れないと思います。
――広告という範囲を超えて課題解決をする必要があるのですね。
宮林:そもそも「自前の力だけではなく、他人の力もレバレッジして、一人じゃできないことをやる」というのは電通が一番得意なことだったはずです。これは本来、電通が提供してきた価値の本質的な部分でもあるからです。
それをマーケティングという領域で生かしたのが国内外をつなぐ事業開発活動です。これは今後より伸ばしていくべき強みであると考えています。
「旅の行程を楽しめる」学生と一緒に働きたい
――どんな学生を求めているのか伺いたいです。
宮林:一言でいうと「旅の行程を楽しめる」人です。
これからは複雑性の時代です。例えば、金融業界においては既存のメジャープレイヤーのビジネス領域を新興のフィンテックが奪っていったり、広告会社もデジタル・マーケティング領域でコンサルティングファームと競争するようになったりと、以前では考えられないような変化が訪れています。
よって不確実な未来を必死に予測しながら今やるべきことを決めるのはリスクでしかない。自分たちにとってあるべき未来の姿から逆算し道は定めつつも、あまりその道に執着せず、むしろ選んだ選択肢を正解にしていく姿勢が大切だと思います。
これを成し遂げるのが「旅の行程を楽しめる力」です。目的地に着くのはゴールではありません。そこに着いたらまた新しい旅が始まるのですから。
私も電通入社時にやりたいと思ったことを実際にやるまでに11年もかかりましたが、それまでの10年間はとても楽しかった。いま思えば、その10年間で一回りも二回りもパワーアップしたからこそできた仕事だと思います。そうやって旅路を楽しみながら、自分の行きたい方向に繋げていく。自分の選択肢を正解にしていく。そういう柔軟性が求められていると思います。
――旅を楽しめるようになるにはどうすればいいのでしょうか。
宮林:大切なのはどういう能力を磨くかではなく、正しい動機を持つことです。自分が何をしたいのか、それはなぜなのか、これにしっかりと答え得る動機をもっていれば、おのずとその実現に必要な能力も見えてくるし、そのための勉強もする。
不確かな未来をベースにしながら今必要な能力を考えるよりも、外部環境が変わっていても自分が柔軟に道を変えていけるだけのマインドセット、モチベーションの源泉を持っておく方が重要だと思います。
電通にいれば飽きない
――最後に、電通に入ってよかったことをお聞かせください。
宮林:飽き性の自分でも常に興味を惹かれる仕事が電通社内にあることです。「もうここでやれることはない」という状態になったことはありません。転職という選択肢を考える前に、社内を見渡せばやりたいことはだいたい実現できると思います。
これは電通のいいところだと思っています。もちろん専門性を磨いていくことも大事ですが、その分、細路にはまっていく危険性もあります。特に若いうちは様々な領域に触れることも大切ではないでしょうか。
おわりに
皆さん、いかがだったでしょうか。
「電通」と聞いて広告会社としか思っていなかった方は、サービス開発や事業投資など、電通の新たな一面を知れたと思います。
電通は課題解決企業であり、その解決の領域はもはや広告にとどまりません。広告会社というのは電通が持つ数ある姿のうちの一つにすぎないのかもしれません。
経営課題の解決をしたいからコンサル、事業投資に関わりたいから商社、マーケティングをやりたいからメーカー、といった選択肢を取ろうとしている方、電通を選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。
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