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高いスキルを持ったフリーランスや子育て中のキャリアウーマン、起業家と人材不足に悩む成長企業を業務委託契約をベースとしてマッチングするオンラインサービス「CARRY ME」を運営する起業家の大澤亮さん(45)は、総合商社、コンサルティングファーム、鞄メーカーという異なる業種でさまざまな挑戦をしてきました。
新卒で三菱商事に入社するも3年で退社、慶応義塾大学でMBAを取得するかたわら仲間と起業し、2つの事業を売却するという成果をあげました。その後、スタートアップへの投資・育成、大手企業へのコンサルを実施するドリームインキュベータを経て、高品質の手づくり鞄で知られる土屋鞄製造所に入社。経営改革をサポートしたあと、再び自ら起業したという目まぐるしいキャリアの持ち主です。
それぞれのキャリアのスパンは2年から4年程度。周囲からは充分に「成功」しているように見えるにもかかわらず、新たなチャレンジを続けるのはなぜなのか。学生時代の過ごし方やモチベーションの源泉も含めて、仕事に対する考え方を語ってもらいました。
留学するような人間は日本企業から嫌われる?
――大学時代はどのように過ごしていましたか?
大澤: 当時はバブルも終わっていて就職超氷河期でした。早大高等学院から早稲田大学へ進学したので、このまま社会に出ていいのだろうか、もうすこし他の価値観や知見を得たほうがいいのではないかと思いました。それでアメリカに留学しました。初めてTOEFLなど、ちゃんと勉強しましたよ。
カリフォルニアのUCバークレー校に行きたかったのですが、TOEFLの点数が足りず、まずは現地に行って学ぶことにしました。はじめカリフォルニア州立大学のサンバナディーノ校に行って国際経済学を学び、3~4カ月かけてTOEFLの点数を上げてからUCバークレーのエクステンション(学外教育)に合格して、マーケティングを専攻しました。
――周囲は応援してくれたのでしょうか。
大澤: それが、留学自体に反対でしたね。そのまま就職したほうがいい、留学したら1年遅れるし「日本企業からは留学するような人間は嫌われるんだ」と。私の父は、外資系企業を渡り歩いてきた人で、10回以上転職しています。日本の大企業に憧れがあり、息子には安定した暮らしをしてほしかったようです。
なので、学費は出してもらえず、自分で稼いで、足りない分は祖父と兄が出してくれました。当時の金額で、サンバナディーノとUCバークレーの授業料だけで2校合わせて250万円です。現地の生活費は月10万であればやっていけるくらいでした。
――その費用はどうやって稼いだのですか。
大澤: 日本では家庭教師とバレーボールのコーチなど、単価のいいアルバイトをしていました。芸能事務所にも所属して、CMにも主演として出ていたんですよ。スキードームの「ザウス」のCMにも、ラグビー部の主将役で出演しました。
早大学院からの友人は弁護士や公認会計士を目指している人間が多かったので、「変わってるな」と思われていたかもしれませんね。
――留学の前後で、何か自分が変わったことはありますか。
大澤: アメリカは非常に合理的で、交渉すれば何でも通るので「言った者勝ち、言わないと損する」という面があります。日本でいうと“ごねる”ような習慣がついてしまったかもしれません(笑)
――就活はいかがでしたか?
大澤: 大学3年(周囲の同級生は4年生)の6月に帰国してすぐ就活をしましたが、広告代理店などは就職試験が終わっていました。留学で学んだマーケティングや国際経済を生かしたかったので、商社かメーカーに絞り、2週間くらいで運よく三菱商事に決まりました。
――「留学すると不利」と言われていたはずでは?
大澤: 「やはり俺は正しかったんだ」と思いましたね(笑)。特に商社なんかは「これからはチャレンジしていく時代だ」と。今でいうダイバーシティ、個性的な人間を求めていました。メーカーでは味の素さん等からも内定をもらいましたが、結局商社を選びました。
商社では短期で「経営する力」は身につかない
――入社してから期待通りだったこと、逆に失望したことはありますか。
大澤: 仕事面では、今考えると当たり前ですが「まともな仕事をさせてもらえない」という不満がありました。書類の作成ばかり、海外からのお客さんのアテンドやアレンジばかり。あとは、印鑑の押し方や座席の位置など、ものすごく官僚的でした。
日本の会社の中でも、特に商社は先輩と後輩の序列が厳しいと思います。僕のような留学経験者や帰国子女は、非常に違和感を覚えるものでした。
――三菱商事は何年在籍したのでしょうか。転職する人は少ないのでは?
大澤: 3年いました。おっしゃるとおり商社の転職は少なく、同期でやめた人間は今でも2割に満たないくらいだと思います。
――なぜ、退社を決断したのでしょうか。
大澤: キャリアチェンジをしたくなったからです。新卒で配属されたのは、業務部(営業と海外の駐在員や役員をつなぐ部署)の中国担当でしたが、自分の希望で同じ部の国際協力室(ODA担当)室に移り、タンザニアに駐在になりました。その現地で、最大手の機関のいろいろな汚職を目にしたり、本当のODAや国際貢献の意味などを考える一方、小さなNPOの運営や多くの中小の民間企業の活動などを見たりして、これからは経営する力が必要だと感じたのです。その力は、三菱商事にいて短期で身に付くかといえば「ノー」だと考えました。
時は1998~99年、「インターネットがすごくなるらしい」といわれていた時代です。そんな時にアフリカにいていいのかと思ってしまったんです。これからインターネットを使っていろいろなことができる時代なんじゃないかというのもありました。それでキャリアチェンジしたほうがいいと思って、三菱商事に通いながら慶應義塾大学のビジネススクールに通い、起業するという選択肢をとったのです。
海外のビジネススクールも検討しましたが、海外では起業はまず無理、加えて授業料と生活費で2000万円かかるのに比べ、慶應ビジネススクールは授業料が400万円、日本国内なので日中は学校に通いながら夜と早朝を起業活動に充てることが可能と判断しました。
――起業した業種などについて教えてください。
大澤: まず初めは「大手証券会社の比較サイト」です。立ち上げて7~8か月くらいで、アメリカの会社に3500万円で売却できました。立ち上げメンバー3人で分け合っても、ビジネススクールの学費400万を余裕で支払える金額になりました。
――7~8カ月で3500万円で売却とはすごいことですね。次の会社もインターネット関連でしょうか。
大澤: はい、ECをやりました。100グラム3000円~1万円の「高級中国・台湾茶葉(健康茶含む)」を売ってみました。売り上げは年々増えていきました。しかし30歳前後になって自分のキャリアを考えると「ずっとこの事業をやっていくのか」という思いがあったんです。結果的に、4年後に1.1億円でサイバーエージェントに売却することにしました。
次の段階として、「0から1にする経験はできたので、次は、1から10にする経営スキルを学びたい」と考えました。当時もてはやされていたのはマッキンゼーやBCG、アクセンチュアなどの大企業向けのコンサルティングでしたが、もっとベンチャー向けのことがしたいと思っていました。ドリームインキュベータがおもしろそうに感じて、32歳のときに中途採用で入社しました。
2年半いましたが、やりたいことをかなりさせてもらえて、とてもおもしろかったです。初の海外投資は中国への投資でしたが、これを開拓させてもらえました。社長の堀紘一さんと2人で中国に赴き、立て続けに3件投資しました。投資額は数千万円単位ですが、すべて売却等で回収することができました(売却は退職後)。
――そんな成果を出したのに、次は土屋鞄製造所に移ってしまうのですよね。
大澤: はい、ドリームインキュベータに2年半いて居心地もよくなっていたのですが、そのころに土屋鞄の社長(当時の専務)からちょくちょく「もっと会社を成長させたいがどうしたらよいか」「株式公開はひとつの選択肢だろうが、わからないので教えてほしい」、「海外展開したいが何から始めてよいかわからない」などの相談がありました。相談を受けて話をしているうちに「一緒にやらないか」と言われまして。
――土屋鞄には、ほかにも中途採用の人材がいましたか。
大澤: いました。ただ、僕は役員として35歳で入社しました。他にそういった立場の人はいませんでした。
――起業家やコンサル業界と全く違う風土ではないかと思いますが、どのように組織に溶け込んだのでしょうか。
大澤: 入社したときに全社員に1人あたり1時間ずつのインタビューを行いました。役員だというと話してくれないので「今度入社した大澤です。会社をよくしたいと思っています」と話しかけると、みんな心を開いてくれ、割と不満を言ってくれました。
不満は主に人事制度のこと。というか、みんなは「人事制度が何もない、自分の給与がどう決まっているかもわからない。将来が不安だ」というのです。ところが、会社の内情を知っている僕からすれば、利益も出ている、成長もしている、こんな安心な会社はないと言える状態だったんですね。
「人事がこの会社の課題だ」と気づき、人事制度や給与制度、報酬の決め方、評価制度について、各部の部長やチームリーダーと話して決めました。その結果、社員はすごく安心したようです。こうして信頼が得られたため、外部のプロ人材を取り入れることに反発はほぼありませんでした。
――土屋鞄では正規雇用ではなく、プロ人材を有効活用して成果を出したとうかがっています。
大澤: そうです。プロ人材活用の芽はもともと土屋鞄にありました。すごく優秀なデザイナーを正社員として雇うと年収3000万とかになってしまう。でも、週1~2で出社してもらって若手を育成しつつ実務をやってもらい、年収3千万の4分の1を報酬として支払えば双方にメリットがあるのです。これがおもしろかったので、マーケティング部門などでも使えばよいと考えました。
特徴的なプロ人材として大きな役割を果たしたのは、商品のデザイナーとマーケティング担当者の2人でした。マーケティングの担当者は、購入体験を通じて「土屋鞄ってなんなの」というストーリーを売っていかねばならないことを教えてくれました。
――土屋鞄での成果を教えてください。
大澤: 売り上げが2倍(約25億が50億くらい)、経常利益も2倍の5億円になりました。いまはさらに増えたと思います。
正しいリスクのとり方、チャレンジの仕方を伝えたい
――お話をうかがっていると、うまくいっているときでも更なるチャレンジをし続ける人生ですね。その選択のモチベーションはどこにあるのでしょうか。
大澤: 実はここ1年くらい、自分でも「自分のモチベーションってなんだろう」とずっと考えていたんです。ようやくたどり着いた答えのひとつが「自分の選択が正しかったことを証明する」ということでした。
僕はリスクのある選択をして、「安定した暮らしを送ってほしい」という両親の望みとは反対の方向へ進みましたが、それが正しいことを証明していかねばならない、ということなんです。時代の流れも、いまは一定のリスクをとらないと個人も企業も活躍できない方向になってきている。ただ、むやみやたらに挑戦するのではなく、正しいリスクのとり方、正しいチャレンジの仕方を実践しつつ、世の中に伝えていくのが自分の役割だと考えています。
――そうした経験から、今の就活生に伝えておきたいことはありますか?
大澤: いちばん大切なのは、変化する環境に対応することです。大企業でも潰れるような時代に個人で生き抜いていけるかどうかは、環境への適応に尽きると思います。
たとえば、エンジニアのプログラミング言語も、ひとつに固執していてはだめ、常に新しい言語を学び続ける必要がある。僕の新入社員の時代はパワーポイントが使えることは相当なスキルでしたが、いまはそんなのはスキルとも言えません。英語だってそうです。日本人はとにかく英語を偏重するけれども、習得には相当な時間がかかるんですよ。他のものを捨てて英語の勉強に時間をかけることが、本当に重要かどうかも考えたほうがいいですね。
――現在の事業について教えてください。
大澤: 今のメイン事業は「CARRY ME」というオンラインサービスで、広報・PR、Webマーケティング、営業、エンジニアといった付加価値の高いスキルを保有し、週1~4日働ける優秀なフリーランスや起業家、子育て中のキャリアウーマンと成長企業のマッチングを行う事業です。
人手不足の企業が多い中、これまでは正社員か派遣社員しか個人も企業も選択肢がなかった。これからは業務委託契約で活動・活用といった「第三の選択肢」を使わなければ、企業の事業も個人の活躍も成り立たないので、マッチングをして可能性を開こうということです。2015年にコンセプトを立ち上げ、2016年にサイトをオープンしました。開始1年でまったく広告を打たずに、毎月100人以上の登録者が増えるようになりました。企業側も取引先が250社になり、黒字化を達成しています。
――クラウドワークスやビザスクといった類似サービスとの差別化はどうはかっていますか?
大澤: 原則として、在宅業務ではなく、出社してもらうので双方で信頼性を構築しやすく、安かろう悪かろうにならないという点です。いわゆるクラウドソーシングは在宅で仕事をし、顔が見えないため、どうしても信頼度が低くなります。そのために安かろう悪かろうになる傾向があります。ある企業によると「クラウドソーシングは2~3割はバックレる」ということで、これは悪循環になるだけですよね。CARRY MEでは活躍できそうな個人の登録者全員と面談をします。登録者もクライアントとどんどん顔を合わせ、出社もできるという人が多いです。
これから就活するとしたら、リクルートやサイバーエージェント
――CARRY MEは「パラレルキャリア」を提唱していますが、パラレルキャリアとはどういうことでしょうか。チャレンジをしたいけれど、フルタイムでは働けない人たちへのチャンスになりますか?
大澤: いくつかの職業を並立させるのがパラレルキャリアです。しかし収入が不安定なので、転職よりもハードルが高いものです。
いちばん応援したいのは起業家タイプの個人なんです。自分がやってきたからよくわかるのですが、起業家は「もし自分が失敗したら」という不安をずっと抱えています。自分のやりたいことがあってチャレンジしているときに、CARRY MEならスキルがあれば月に2~30万円は稼げる。その金額なら生活していけるので、起業家のセーフティネットになれるのではないかと思うのです。
これは心理学でいうと「セキュア・ベース」と呼ばれるものと同じです。「セキュア・ベース」は「子どもが好奇心を持っていろいろな創造的活動ができるのは、なにかあれば親が助けてくれるという安心感があるからだ」という考え方です。これは大人にも適用できると思っていて、CARRY MEはそんな存在を目指しています。
――大澤さんが今後実現したいことは何でしょうか?
大澤: まずはCARRY MEを全国に広げていくこと。それに加えて、日本のいいものを世界に出していく活動を、どこかのタイミングで始めたいと思っています。土屋鞄でも本当は海外展開をしたかった。リーマンショックで頓挫してしまいましたが。
とにかく「挑戦している人を守らなくては」という思いがあります。それから「失敗を許容する文化」を日本で作りたい。日本では一度失敗したら、もう一度チャンスを与えてもらえるのは難しいですからね。
――大澤さん自身は、これまで失敗したことはないのでしょうか。
大澤: 致命的ではない失敗はたくさんしています。失敗だらけですよ。ただ、ここでもリスクコントロールが大切で、事業をつぶしても、会社をつぶしてはならないのです。エジソンが「100回失敗することは101回目の成功に至る経験だ」と言ったといいますが、それと同じことです。
――モチベーションがわいてこない若い人、やりたいことが見つからない人はどうしたらいいと思いますか。
大澤: インプットがすべてじゃないかな、と思います。読書でもネットでも他の人の体験談を聞くでもかまいませんが、情報がたくさん入ってくると「これはやりたくない」「これは得意だ」などいろいろ見えてくる。これがない状態でアウトプットしようとしても、それはまず無理です。
やりたいことがなければ、得意なことに特化してやればいいと思います。他の人が苦労してやっていることで、自分が簡単に達成できているものを見つけて、そこに特化したキャリアを形成すれば成功しやすいのではないでしょうか。
――いまの自分から見て、最初に三菱商事で働いたことはどんな意味を持っていると思いますか。
大澤: 意味としては「コミュニケーション方法など、社会人としての基礎的な能力、動き方を学べた」ことだと思います。クライアントとの関係の構築の仕方など、基礎的なことを学びました。
――もしいま、大澤さんが大学生で、これから就活するとしたら、どの企業を選ぶでしょうか。
大澤: 起業を視野にいれて就活をするなら、リクルートがいいですね。サイバーエージェントなどもおもしろいのではないでしょうか。
経営コンサルタントは起業したいというよりも、頭のいい人がより自分の好奇心を満たすとか、自分より頭のいい人から知的な刺激を得たいのであればよいと思います。反対に、頭のいい人にありがちですが、全部リスクが見えちゃうと先に進めなくなってしまうようです。DeNAの南場さんなども言っていますが、意外に起業には役立たない気がしますね。
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