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山下さんの小説、拝読させて頂いています。なんでかわかりませんがとても好みで、たのしく?読んでいます。 僕も小説を書いているのですが、質問があります。 小説を書いていると、直近で読んだり、好みだったり、印象の強いというか、何となく意識の表層に残っている作家さんの文章や文体と似ているものがでてきてしまいます。それが僕はあまりいいことではないような気がしますが、でも当たり前な気もします。 ただ、それが肉体の芯みたいな部分から放たれるている言葉なのか、それとも小手先で利用しているだけの言葉なのかが自分でもよくわかりません。これがよくない気がします。 山下さんはどう思いますでしょうか、また山下さんが書くときの言葉はどこからやって来ているのでしょうか、漠然としていて申し訳ないですが、ご意見お聞かせください。

この質問への回答 1

相談室回答者

作家、劇作家、演出家、俳優 。高校卒業後富良野塾に入塾し俳優として活動をはじめる。1996年より劇団FICTIONを主宰し作、演出、出演を担当する。2011年より小説を発表。 2012年『緑のさる』で第34回野間文藝新人賞、2017年 『しんせかい』で第156回芥川賞を受賞。そのほかの著書に『小鳥、来る』『月の客』などがある。

その言葉が奥底から出て来たものなのか表層のものなのかどのように判断するのか。言葉自体すべて外から入ってきたもので何ひとつ自分で編み出したものじゃない。わたしは思考のたとえとして「浅い」「深い」というのがよくわかりません。自分から出て来たものにわたしはあまり自分であれこれ水をささない方が良いように思います。というのもあれはひとつの「いじり遊び」で爪を噛む癖のようなものできりがない。爪ならなくなって噛めなくなりますが。真似でも何でもかまわないと思います。いずれ何かしらがたちあらわれて来るならたちあらわれて来ます。来なけりゃ来ないで楽しい時間です。わたしの書く言葉がどこから来ているのか。わたしの外からな事は間違いありません。たとえていうならわたしは変電装置のようなものです。電気はそこら中に飛んでいてすでにわたしがあらわれる前からあった。そこへわたしが生まれ出た。生まれ出たものはどれであれ微弱に電気を引き寄せてまた放出するのですが「わたし」を通過する事により少し変化している。しかしそれは外に放たれたとたん他のとまざり希釈されたり濃くなったりしながらどれがそうだったかわからなくなる。「わたし」を通過して行く水や空気のようなイメージです。

回答日:2021/02/25

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